~ある女の子の被爆体験記32/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。“開発者も予想外、原爆の破壊力"
知らなかった破壊力
アメリカの原子爆弾開発計画、いわゆるマンハッタン計画は第二次世界大戦中に組織が作られ、活動を開始した。原子爆弾の開発者のひとりロバート・クリスティ博士は、1998年、日本のテレビ局からのインタビューでこう述べている。
「開発チームは、『衝撃波』による破壊が最大限になるようにするにはどうしたらいいのかということばかりを計算していました。『熱線』についてはそれほど考慮していませんでしたので、その破壊力をあとで知り、驚きました。『放射線』についても幾らかはあることは知っていましたが、それが致死量になる爆心地からの距離を計算するなどということはしていませんでした」(『原爆投下・10秒の衝撃』NHK出版より引用)
つまり、原子爆弾投下の目的として、最大限の爆風を作ることを目標に開発をすすめてきた。このため原子爆弾が完成しても、開発者でさえ熱線や放射線の影響については詳しく知らなかったという。原爆投下後に、広島や長崎の実際の惨状を知って初めて、熱線や放射線の被害が想像を超えていたことに驚いた、というのだ。
原子爆弾の投下の理由が、早く戦争を終わらせるためだったにせよ、
原子爆弾を世界最初に使用することで自らの力を世界へ誇示する目的があったにせよ、
どんな結果をもたらされるかも知らないまま未知の兵器を使った事実は衝撃的である。わからないからこそ、効果を知りたかったのだろうか。最新の科学を手にするたびに人間に沸き立つ盲目的な欲求は、暴走した。欲求を満たす途中経過に、人間の無残な死があるという予想はあったとしても、戦争中の敵国だからこそ、無視しても良いと考えたのだろうか。これは、未来の人間に投げかけられた、問いだ。
将来、さらなる科学技術を手にするとき、それによってダメージを負う人々のことを想像できるだろうか。私たち人間は、自らの欲求の暴走をコントロールできるだろうか。