~ある女の子の被爆体験記28/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。“世界にある核兵器の数はいくつ?"
戦後の被爆者の苦悩
ノブコの話はこれおしまいではない、75年経った今も続いている。ノブコは今は90歳だ。
戦後は、被爆者が生きることは難しい年月だった。被爆者自身の心の中に、“自分はいつ病気になって死ぬかも分からない”という不安を抱いて生きなくてはならなかった。
子供ができないから、被爆者は結婚できない、と、世間一般の噂が暗黙の常識のように長年続いた。
やけどの傷を受けた人々はもちろん、けがの無い人も白血病や、癌と戦わなくてはならなかった。
原爆から数年後、東京に移り住んだノブコおばさん。故郷の広島に帰りたくても、「あの川の光景を思い出してしまうから」と、ほとんど広島に帰ってはいない。
ノブコも、乳癌に2回なり、治療した。大腸がん、そして甲状腺がんにもなった。そして、自分の子供が病気になったときには、“私のせいだ!ごめんなさい!”と言っていました。90歳になったノブコ伯母さんは、このことを伝えたくて、ようやく原爆の話を、聞かせてくれました。
戦後に人を病気にする兵器を保有する私たち地球人
原子爆弾を受けた人々は、戦争が終わった後も、その爆弾を受けたために、病気になり、精神的苦痛を抱え、さらに自分たちの子供についても自分の責任を感じて生きています。戦争が終わっても人を苦しめる必要があるのでしょうか?現在、地球上に少なくとも14000発の核兵器を、私たちは保有しています。 この数は、誰かが核兵器を持っていると言うよりは、私たち自身が、私たちの子供たちに影響のある核兵器を保持し続けている数です。
現在の核兵器の威力を比較
広島に落とされたウラン型の原子爆弾により、1945年の年末までに14万人(当時の広島市の人口は35万人)が死亡、
長崎の落とされたプルトニウム型の原子爆弾により、1945年の年末までに7万4千人が死亡(人口27万人)した。
それでは、これまでに核実験などで使われた核兵器の威力を比較したHUFFPOSTの記事を紹介します。
以下の核爆弾の威力の大きさの違いが、視覚的にわかりやすく表示されます。2015年8月7日の記事ですが、一度ご覧ください。(リンク)
広島に投下された爆弾「リトルボーイ」の威力は、15キロトン
長崎に投下された爆弾「ファットマン」の威力は、121キロトン
マーシャル諸島で1952年核実験「アイビーキング」、500キロトン
アメリカが冷戦時代に開発した「B53」、9000 キロトン
ビキニ環礁で1954年の核実験「キャッスルブラボー」、15,000キロトン
ソ連が冷戦時代に開発した水素爆弾ツァーリ・ボンバ50,000キロトン
世界の核兵器の数 14,000発
どうぞこの表を見てください。