見出し画像

「ワンネス」意識体験とこどもの頃の私。

まず先に、こどもの頃に思っていた不思議な感覚のお話をします。
たしか10歳とか11歳くらいの頃の話です。
私は、大人が返答に困るようななぜなぜさんだったと思います。

ある時、私が話している言葉、聞いている言葉は、私だけの言語なんじゃないか?と疑いを持ちました。
私が話しているのも、聞いているのも日本語なのですが、
もしかしたら、私以外の人は別の言葉を喋っているかも?と思ったのです。
みんな違う言語を持っていて、会話は自動翻訳され、相手に届き、私に届いているのではないかと。
それは、外国語とも違うもので、その人だけの言語。
言わば、宇宙語のような!?

だとすると、ニュースで流れてくる難しい話、偉い人の話、百科事典に載っているような事柄、私がまだ学んでないこと、知らない世界のことまで、なぜか私の世界にそれがあるのはなぜ?というものでした。

私自身の知識ではないけれど、世界にはとっても難しいことがあることを知っている。
だとすると、「私、頭良くない?」と思っていたのです笑。
感覚的なことなので、大人になった今でも表現や説明が難しいけれど、
例えば、内容は全く理解できなくても、誰々が◯◯の研究をして、ノーベル賞を受賞しましたとか。
その世界が私の中にあるってすごくない?みたいな感じです。

生まれた時は、みな知識など皆無で、まっさらなはず。
生まれて10年ちょっとで、その世界があるって知っているって何?ってことなんです。

こどもだった私は、感じていることを父に話しました。
「今、私が喋ってること、私だけの言葉で、お父さんはもしかしたら違う言葉を喋ってるかもしれない。そんなことない?」
そうすると父は、
「じゃあ、その世界の中で、おまえがおまえであるということをどうやって証明する?」と質問で答えたことを覚えています。
「名前を言っても、それがおまえがおまえであることの証明にはならないよね。」と。

「証明する」ということ自体、よくわかってないこどもですから
「ううんと、ええっと」とかで終わったと思います。
とても難しい哲学的な質問です。


大人になってもこの感覚はずっとあって、誰に話してもポカンとされるだけなので、だんだん話さなくなったのですが、ふと最近、この感覚を思い出したのです。

きっかけは、うちの猫でした。
うちには2匹の猫がいて、そのうちの1匹、男の子(ネトルという名前)の方はめちゃくちゃ甘えん坊です。
溺愛の結果、体重は9.6kgと横綱級。
少し寒くなってきて、この子が布団の中に入り、私のお腹にピッタリと体を寄せてきます。
がっしりした体が密着し、疑いようもなく安心して腕枕で眠っています。
重みと体温に心地よさと幸せを感じていると、
だんだん、体の境界線がなくなるような感じがしてきました。
まるで、私の体の一部のような。

おなかに赤ちゃんがいたらこんな感じかな?とか妄想していて、ふとネトルは私の一部、私のものという一体感が生まれました。
さらに、その時見渡す私の部屋の全てが私のものという感覚になりました。
ハンガーもチェストも、今横たわっているベッドも、観葉植物も。
そう、ここにあるものは全て私のもの。
この感覚を拡張していくと、この家も建物も、庭の植物たちも。
この地域も、地下鉄の駅もスーパーも、通り行く人たちも。
全部私の世界のもの。
私が見ているもの、感じているもの、状況も環境も何もかも私が創っている世界なんだという不思議な感覚です。
どこまでも境界線がなく、一体に感じられ、どんどん拡張していくんです。

拡張したその先には、これまで海外で見た素晴らしい景色もありました。
思い出すのは、特に驚異的な大自然の中にポツンと佇んだ時のこと。
私の存在は、針の先でチョンと突いた点ほどもない。宇宙の霧の雫のような小さな小さな存在で、私も私が創った世界も全て宇宙の一部。
今度は私が、宇宙に包み込まれ、抱かれるような感覚になりました。

とてもとても不思議な感覚です。
スケールが壮大すぎて、表現のしようがないけれど、
私の感覚は私のものなので、わかってもらえなくても大丈夫。

もしかしてこれがワンネス!?
ワンネスの体験かもしれないなと。
境界線のない世界体験。
あなたは私の中のあなた。
私もきっとあなたの中の私。
全部繋がっている。

「ワンネス」って概念は知っていました。
でも、理解しているようでしていない。腹落ちしていなかったと思います。
みんな繋がってる〜みたいなことはわかるのだけど、
ひとつの概念や思想みたいな捉え方だったと思います。

意識でこの感覚を味わったのち、こどもの頃感じていた「私の世界の言語」を思い出したのです。
この時点から、あの時の感覚を思い出し、解説できるとしたら
それは「叡智」というものなのかもしれません。
生まれる前から知っていたこと。
もしくは、ご先祖様たちからつながるDNAの記憶とか。
今世肉体を持って生を受けるもっともっと前からすでに知っていた記憶。

「ワンネス」って、SDGsとかビジネス的な広がりでも使われていますが、
「全部私、そして宇宙の一部」というワンネスの意識体験とは、ちょっと違う感じがします。
ああ、でも、「そういうのもあるよ」というのもまた、私の世界の一部なのかもしれません。

かつて父が私に投げ返した質問「おまえがおまえであることをどうやって証明する?」の答え。
「私が私であることを私が信じていれば、それでいい。」
かな。
外の世界に証明する必要ないってところに辿り着いたんだけど、
どうだろ?またいつか答えは変わるかもしれませんね。







いいなと思ったら応援しよう!