テンパらなくても待ってくれる人はいる
最近どんどん自分のことが分かっていく感覚がある。
思考にかかっていた靄が突然晴れ、頭の中がクリアになった日があった。その日を境に自分や周囲の人がどういう人間なのかが見え始め、中学生や高校生が「自分とはいったい何者なのだろうか」と悩むことをやっと考えられるようになった。
そんなだいぶ遅めの思春期を過ごしている。
さて今日はタイトルにもある通り、人と話すたびにテンパってしまう人の原因の一つかもしれないことについて話していこうと思う。
小さい頃から私にはテンパる癖がある。初対面の方は勿論、親しい友人からでも話しかけられると焦ったり、「あっあっ」とどもったりする癖があった。本当にこの癖が嫌で嫌でしょうがなくて、本やインターネットで情報を探すも「自信のなさ」や「自己防衛が強いこと」が原因なので改善しましょうという話が多く、イマイチテンパり癖の改善に至らなかった。
自己理解が段々と進みつつもそんなことをもやもやと考えていたとき「これだ!」と思える答えを見つけた。
小さい頃、親にいつもせかされてきた人は、大人になっても他人と接すると、内面からせかされてしまう。他人と接することで、小さい頃の体験が再体験される。そこであせる必要のないときやところでも、いつもあせっていしまうことになる。
加藤諦三先生の『「自分の心」をしっかり守る方法』の「完璧依存症」を手放すと、のトピックから引用させて頂いた(182頁14行目~183頁1行目)
読んだ瞬間思わず泣いてしまった(atスタバ)
つまり私が話しかけられるたびにテンパってしまっていたのは、親に対する反応を大人になった今でも取っていたから。思えば母もテンパり癖が強く、焦る必要のない場面でもあたふたしたりヒステリックになったりしていた。そんな母に育てられたから、年齢相応の成長を待ってもらうことができず、いつも「早くしなさい」「早く大人になりなさい」と急き立てられてきたのかもしれない。
しかし大人になった今、周囲の方全員が私に「早くしなさい」とせかしている訳では勿論ない。おつりを財布に入れる時間や抜いだ靴を履いている時間など、待ってくれる人は絶対に待ってくれる。
実際「ゆっくりでいいよ」とか声をかけてもらうことは多かったし、内面が幼稚な私を優しく見守ってくださった方はたくさん、たくさん居た。自分が思っているよりもずっと周囲の人に優しくされてきたのだと最近になって分かるようになった。それなのに気づかず無碍にしてしまい、本当に本当に申し訳なく思っている。心の底から反省している。
その反省を胸に、テンパってしまう自分を否定せず、待ってくれる人間関係を見極め、大切にしていきたいと思っている。がんばるぞ。
ここまで読んでくださりありがとうございました!