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気づけば1年8か月も経っていて、光陰矢の如しという言葉を実感しながら日々過ごしています。 お久しぶりです、tです。 この約2年間で起こったことは追々詳しく書いていきたいと思っておりますが、ざっくり言いますと投薬・カウンセリング治療を継続しながら一応社会復帰することができました。 ここに至るまでには自分自身が成育歴や思考癖と向き合い続けてきたこともありますが、なにより数年にわたって支え続けてくれた両親や、関係性を繋ぎ止め続けてくれた友人たち、そして自分に関係する皆々様のおか
先生の受け売りなのだが楽園にはパラダイスとユートピアというものがあるらしい。 パラダイスとは物質的に豊かな世界。たくさんの物やお金に溢れている世界。 ユートピアとは精神的に満たされた世界。身の回りにある幸せを見つけていく世界。 私が大切にしたいなと思っているのは後者のユートピアの世界。パラダイスも素敵なのだろうけれど、欲望には際限がないので、次から次へと新しく便利なものが欲しくなって、いつまでも安定しない気がしてしまった。人それぞれだと思うので勿論否定しない。
私の周囲には凄い人達がたくさんいた。 素晴らしい画力を持っていたり、文才があったり、豊富な知識があったり、ユーモアがあったり、頭の回転が早かったり、度量が大きかったりと人それぞれに魅力があった。 だからなにもない私にも何かしらの才能があるはずで、努力すればどうにでも出来ると本気で思っていた。今は全然努力してないけれど努力さえすればきっとすぐにあの人達のようになれると。 これがとんだ思い上がりだったことに気づいたのは某氏の著書を読んでいた時だった。 「空を飛ぶ
最近どんどん自分のことが分かっていく感覚がある。 思考にかかっていた靄が突然晴れ、頭の中がクリアになった日があった。その日を境に自分や周囲の人がどういう人間なのかが見え始め、中学生や高校生が「自分とはいったい何者なのだろうか」と悩むことをやっと考えられるようになった。 そんなだいぶ遅めの思春期を過ごしている。 さて今日はタイトルにもある通り、人と話すたびにテンパってしまう人の原因の一つかもしれないことについて話していこうと思う。 小さい頃から私にはテン
共働きの両親のもとで育った私の、一番傍にいてくれたのは父方の祖母だった。 小さい頃から大のおばあちゃん子で、祖母の後をついていき畑でミミズと遊んだり、子ども用包丁を使って一緒に料理をしたり、縄跳びをしたり、一緒に寝たり、本当にたくさんのことをやってもらった。 中学高校に通っている時には、地元の駅まで迎えに来てもらい、夕飯の買い出しに一緒に行って、両親は遅くなることが多かったので二人で夕飯を作って食べる、という毎日を送っていた。誰よりも長い時間を過ごしていた祖母には友
1月頭から3キロ痩せた! 巷で騒がれるダイエットの効果量(「食事制限なし!1ヶ月で10キロ痩せた方法!」のようなもの)から見るとかなり控えめな数字に見えるが、身体が引き締まった実感と継続の達成感があるので自分としてはかなり喜ばしい。 キツかったジーパンが楽に履けるようになったり、メイクするときに見ていた二重顎が薄くなっていたり。小さなことだけれども、もっと継続しようという気持ちになる。 なので今日は自分がやってみて「よかったな~」と感じたものを書いてい
学生の頃、よく言われてきた言葉がある。 「早くに結婚しそう」 「いいお嫁さんになりそう」 所属していたサークルでは年に数回部内誌を発刊していた。その中にサークルメンバーのイメージをランキング化したコーナーがあり、私はその中の「早く結婚しそうな人」ランキングでもずっと1位だった。 勿論というかだいぶお世辞もあると思うが、この言葉を言われることはなんだか誇らしかった。結婚しても幸せになれそうなビジョンが周囲の友人に見えているのだと思うと安心できたからだ。
私は本当に継続が苦手だった。 「こうあらねばならない」という大きな理想を掲げ、ハードすぎる計画を立て、挫折し、自己嫌悪に陥る。もう何度繰り返したかわからない。 自信をつけるにはちいさな成功体験が大切 「継続は力なり」「千里の道も一歩から」「塵も積もれば山となる」 これらの慣用句だってもう耳にタコができるくらい聞き飽きているはずなのに、なぜ今まで成功しなかったのか。 それについて自分なりの答えが見つかったので、今日は私なりの継続できなかった理由と継続する
こんな夜更け、揺れるキャンドルランプの明かりを眺めながら今日も文章を書いている。お疲れ様です、こんばんは。 実はnoteを書き始めてから薄々、いやずっと気になっていることがある。 私の書く文章、ちょっと固すぎやしないか? 自分の気持ちの整理目的&アウトプットの練習としてnoteを使っているので好きに書けばいいのだけれど、いくらなんでも文章が固すぎる、と最近になって気が付いた。まるで歯が立てられないカチカチのせんべいのよう。 だから自分の思ったことを素直に書い
昼ごはんの讃岐うどんが大変美味でした。美味しいごはんに感謝です。 今日も今日とてnoteを開いてみたものの、先日から拝読しているライアン・ホリディ氏の『エゴを抑える技術』の内容が私にとり非常に衝撃的でこのnoteともどう向き合えばいいのか手をこまねいていたりする。 そのトピックは「沈黙は力」というタイトルだった。 何かに挑戦するときは、それに対する不安や空白をしゃべって解消するのではなく、口を閉じ真っ向からぶつかっていくのが大切だと説いている。 特に私がぞっ
躁のようなハイテンション状態が終わり、またエネルギー切れを起こした毎日が戻ってきた。 今回は「今できることをしなければ!」という意気込みが空回りをし、自分を追い詰めてしまった結果だと思う。全くもって情けない。しかし動けない自分を情けなく思っているわけではなく、まだ自分の限界やいい塩梅を理解できていない自分に対してそう感じるのだ。 また自己嫌悪の気持ちも強くなってきた。こんな時は周囲の声を内在化して自分を責めるのではなく、良きインナーアダルトからの声を信じて自分に優し
今日も美味しいごはんを頂くことができました。本当に感謝です。 昨夜、湯船に浸かりながら考え事をしていた時に 「高等教育を受けたものは、それが受けられなかったもののためにその能力を使わなければならない」 教授がかつて仰られていたことがふと思い起こされた。ノブレス・オブリージュとは違うのかもしれないが、自分の立ち位置を見定め、社会にどう貢献していくのかへの自覚を持った、強い言葉であった。 私が今のような状況になる前は、家族関係のバランサーとして、見返りも求めず心を
気分が塞ぐようになってから早数年になる。 同窓生が家庭を持つという大きな選択をしたり、夢の実現に向けて努力している間、私は何もできずベッドの上で自己嫌悪に苛まれたりしている。勿論焦りがない訳はなく、鍼灸に通ったりボクシングジムに入会したり自立支援をしてくださっている所でお世話になったりするも、精神状態が悪化したこととコロナの感染拡大をきっかけに足が遠のいてしまった。その頃noteにも挑戦したのだが、病んでいる旨の自己紹介をアップしたきり放置状態だった。 そしてあっと