自分を決めつけない
私は何者なのだろう?
その答えは不明のまま この地球を去る時、真実が明らかになるのかもしれない。
最近つくづく思うこと。
私ってこういう人、と決めつけると、その通りの私にしかならないのでは?
決めつける感覚は、私という存在を 常識の檻に閉じ込めて、自由を奪っている気がしてならない。
例えば私は、命には別状はないけれど、恥ずかしくて他人には言えない、罹患すると厄介な持病をかかえている(と脳に思い込まされている)。
足の爪の水虫、頑固な痔、そして歯周病が悪化して歯茎も歯も脆く食べることを楽しめない。
これが私なんだ!と決めつけると、毎日がその私でいなければならなくなり、もう未来に希望は持てなくなってしまう。
宇宙の法則を知り、この見えている世界は、自分の思い込みが映像化した 鏡の世界で、自作自演の一人芝居の舞台だと分かった。
そして何度も届く宇宙からのメッセージによると、この世界に実在しているかの如く感じる私でさえも幻想で、本当の私は安心安全なところで、この映像を見守っているらしい。
だとすれば、持病をかかえて苦しみ 悩む私は、幻であることになる。
脳はリアルに痛みや不快感を感じさせて、如何にも私は無力で持病に翻弄されていると思わせてくる。
この痛みや不快感を取り除くには、病院に行くしかないかのように思わせてくる。
私は宇宙の法則を信じて生きると決めた。
だからこの私の思い込みの映像を真に受けて、行きたくない場所に行くつもりはない。
それよりも私が心地よいと感じることを優先する。
だから私はこんな人だと決めつけないことにした。
全部が幻想で、私は今この瞬間だけを感じるだけでいい。
他には何もしなくていい。
病院に行ってまで、持病を治そうと無理しなくていい。
私は今痛みを感じていると認めるだけでいい。
私の容姿に関しても、誰かと比べた結果だけを採用して、私はこういう人と決めつけないことにした。
私は大柄で腿が太いとか、手が大きいとか、鼻が丸くて低いとか、それは全部誰かと比較して得た自分の容姿だ。
ワンコのこゆきは、自分の容姿を他のワンコと比べて、劣っているとクヨクヨ悩んだりはしない。
ありのままで こゆきという光を放ち存在している。
私も、こゆきのようにありのままで自分の光を放ち、ここに存在していればいいのだと思えるようになってきた。
自分はこういう人と決めつけると、途端に自分が無力で愚かでこの世界に不必要な存在に思えてくる。
もう夢も希望も無い、荒廃した未来しか思い描けなくなってしまう。
だから私は一歩先へ踏み出す!
未来を先取り、今ここで決めつけていた自分と決別する。
私は何者でもない。
ただ私という個性の光を放つだけの存在。
素直で純粋な光である為に、自分に不要な観念を手放していく。
この記事を書いている私は、痛みも不快感も全く無い、静かに自分を見つめ文章で表現することに集中できている。。
自分はこういう人だと決めつけない!と決意したことで、私は身軽になり より自由になった気がする。
それがとても安心できて心地よい。
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️