#42「ご飯粒を残したら、目が潰れる」という話は、祖母の教え。表現に少し恐怖心はあったものの、誰かの手間を想像するキッカケになった話。(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)
突然ですが私はパンか米だと、米派です。ご飯・味噌汁・玉子焼きがあれば、何もいらないです。ただ、ラーメンと焼き飯・餃子セットも猛烈に好きな私です。ラーメンがどこが好きって話になると、どこも好きやねんなぁといいつつも、「天下一品」か「来来亭」か「野方ホープ」が浮かびます。
お米は八十八の手間があるんやで
祖母の家に行くとご飯を食べるわけですが、お箸の持ち方だけはうるさかったです。鉛筆の持ち方については、正しい持ち方に慣れない間に自分流の癖が付いてしまい今に至ります。
祖母は戦時中の話はホントにしてくれませんでした。
学校の中でも戦争の話や修学旅行先が広島だったこともあり、想像できなくて「戦争ってどんなん?」と何度か聞きましたが回答は『思い出したくないわ』それだけでした。
祖母は食べ物を粗末にすることや物を粗末にすることを物凄く嫌っていて、『安物買いの銭失いにならんようにするんやで』と言われていましたが、いまいちそれが何か意味も理解していませんでしたので、物を大切にすることの意味を考えだしたのは比較的最近で、それまでは買えばいいのでは?という安直な発想をしていました。
祖母の家は冷蔵庫がありますが、時々これはもう食べない方がいいんじゃないのか・・というような食べ物もあったりしました。
戦争時代に物が満足に食べられなかったからこそ、捨てられないという事でお腹壊すかもと思いながら食べていたこともあります。
(賞味期限切れは気にもしませんが、消費期限の切れもこの辺りで気にしなくなっていました。そもそも消費期限が不明なものもありましたが臭いや色判断ですね。並みのことではお腹壊さない自信あります(笑))
一際厳しかったことは、ご飯を粗末にすることです。
お茶碗に一粒でもご飯粒が残っていたら『残っているよ』としっかり綺麗に食べ終わったか確認されていました。
ただその手前で祖母が言っていたのは、
『ご飯粒残したら、目が潰れるで。だから一粒残らず食べるんよ』というのです。目が潰れるという表現が怖すぎて、相当な恐怖心がありました。
「なんでご飯粒残したら、目が潰れるの?」
『米はな、とっても手間がかかっているんやで。お百姓さんが一生懸命つくってはるんよ』
「やし、目が潰れるん?」
『そうや。目が潰れるんや』
ご飯粒を残す=目が潰れるという方程式がどうも成立せず、何でなんだ??と思っていましたが、あまりの剣幕にご飯粒一つ残さなくなった私です。
『お米はな、八十八の手間が掛かっているんやで』
「そんなにしてはるん?」
近所の田んぼのお百姓さんが八十八工程を踏んでいると想像ができなかった当時の私。
ちなみに、その工程数が実際にあるのだろうかと思って調べてみました。
参考記事
改めて知ったことで感謝できますね。
祖母が教えてくれたことは自分の考え方の土台にあります。
ただ、雷が鳴ったときの『おへそ隠しておかないと、へそ取られるで』に関しては、妙に恐怖心を植え付けられた感がありますが。
祖母はエコバックをもってお買い物をしており、豆腐もボールに入れて買っていたりして、あの時代はかなり合理的だったんだなぁと感じています。
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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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