#28生命線は毎日拝むと伸びると言われれて信じたあの日。大人の言葉をまっすぐに受け止められなくなった日。(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)
未来の入信者リスト入り
お友達のお母さんは朝と晩いつも大きな仏壇にずっと声を出して読経をしていました。熱心だと感じていましたが、祖母の祈りとは違うので不思議でした。
桜が咲く季節、お友達の家族とお友達の近所のお姉さんと知らない叔母さんとでいくところに一緒に連れて行ってもらいました。
当時はわかっていませんでしたが、メガ宗教の集会だったことだと今なら認識しています。
何をした記憶もありませんが、その日何度も私は生命線が短いことを指摘されていました。その日の私以外の2人は生命線が長かったのです。
『手を見せてみて。生命線が短いね。これは、あまりよくないよ』
「そうなのですか?」(敬語を意識し始めるころ・・)
『そう。祈ったりしていい事をしていたら変わるかもしれないけれど、今のままだったらいいことはないと思う』
「お祈りしたら生命線変わるんですか?」
『変わるよ!ちゃんとお祈りしてたら大丈夫』
(お祈りってなんやろ?それにしても、めっちゃこわい・・私早く死ぬんかなぁ・・・)
手相を見るような家でもなかったので、じっくり見たこともありませんでした(笑)帰り道よくないということを言われたことで、起きていても決まづいので、目をつぶりながらも眠れませんでした。
その時に大人の会話が聞こえるわけです。
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『みんな寝てるわ。疲れたんやろな』
『〇ちゃんは将来入るやろけど、まぁ他の子も入るやろな。生命線が短い子もいるからお祈りするように言うてあげたほうがいいよ』
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(生命線が短い子ってわたしのことやッ!何に入るってことやろ・・)
この時に大人の会話の怖さを感じた私です。優しさで話してくれていることがどうも何か違う意図があると感じたからです。
寝ているように見えても、寝たふりの可能性もあるので会話には気を付けてください(笑)大人だと思っていた人達も今思うと、みんな色んな感情があったのだろうなと感じています。
もう子供ではないですが、今子供と話す時はあの時の自分が何となくいる気がして見透かされている気がして妙に力む私です(笑)
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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。
節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。
見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。