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#58国道を深夜に歩く親子。道路が家に続いていると知った立ちながら寝てしまったあの日。(貧困幼少期からNPO代表理事までを振り返る)毎日note更新中

更新時間を18時にして、アイコンは美味しそうな画像をあえてつけるようにしました(笑)記事に関連する画像にすると、なんだか寂しくなってしまうところもあって・・
いつも皆さんのフォロー・スキ・コメント嬉しいです♪いつも元気を頂きありがとうございます。
習い事の話を書いたときにコメントを頂き、始めたキッカケで習い事の効果は違うのかなぁと疑問が生まれました。親の気持ちでさせた事か子供の自主性で始めた事か。皆さんはどう思われますか?
意外と聞くのが習い事が苦痛だったという声。私にとって習い事はリッチだと思っていたので、聞いた時は驚きでしたが、この心親知らずなのかしら?

国道を歩いて帰った夜

私の母はパチンコが好きでハマっていたのですが、出張パチンコをしていました。(近所で打つと体裁が悪いから、バスや電車に乗った場所でするのです)

当時のパチンコが22時か23時終わりでしたが、母は私を横に座らせてずーーーーーーっと打っていました(笑)
出る・出ないというのは私には関係ないので、暇だなぁと椅子に座って時を過ごすのですが、粘るんですよね。ずーーーーーーっと。

出張パチンコはバスに乗って、電車に乗って行っていました。
伏見大手筋商店街のパチンコ屋さんも、帰りに行った銭湯もまだあるようです。懐かしい――――。

煙草臭くなった後で閉店間際の銭湯に入って上がる。
当時の電車はめちゃくちゃ遅い時間迄運行していたわけじゃなかったんですよね。東京の終電時間に驚いた私です。
閉店間際に銭湯では、蛍の光が流れる事が多かったものの、今ってどうなんでしょうか?24時間営業や深夜営業が多いですが、当時は23時はかなり暗かった。

風呂上がりの銭湯グッズ(風呂道具)を持った親子。

「お母さん、電車もうないで」
『そやなぁ。乗れへんかった』

・・・・・

『帰ろか』
「タクシー乗るん?」

『そんなもん、乗れへんわ。』

・・・・・・で、電車もない、タクシーもあまり走ってないし、そもそもそんなのに乗る金もない。

・・・・どうするかというと、

国道の青い看板を見て歩いて帰ったのです!!!!爆

今思い出しても強烈なのですが、日ごろ電車に乗っていた道を青い看板を見て歩いたのです。
母の言い分は

『線路の傍を歩いて行ったらつくやろ』

えーーーーーーーーーっ

我が家は電車とバスを乗り継いで居るのです。

「お母さん道知っているん?」
『知らんけど、つくやろ』

・・・・・・・・つらい。。。

国道を親子二人でひたすら歩いて帰ったのでした。すれ違う人も車もいませんでした。街灯もそう多くなくて、ガードレールに沿ってとぼとぼ歩く、平成10年迄の話。青い標識で行動したら目的地に着くんだなぁと何となく思ったときでした。

風呂上がりの時点で相当眠くて眠くてたまらなくて、立ちながら寝てしまいました。

それでも不思議と寝れるんですよね。
ふわぁとバランスを崩したときにハッ!!!!と目を開けると、母は100m程先に進んで小さくなっていて、焦って走って追いかけた思い出です。

振り返らんのかい!!!という突っ込みしかないのですが、母はホントに自分の世界の人でした。

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私は貧困幼少期の中でお金がすべてと思っていましたが、沢山の方と出会いから教えて頂き、今の私へと育てて頂きました。
誰かの人生を変えるキッカケになればいいなと思って書いています。
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