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魔法の手
画面さす ぼくのこの手は 魔法の手
空も飛べるし 火も起こせるし
私は小学生の頃、ひそかに本気で魔法使いになりたかった。
空想力というか妄想力のとてつもなく強いタイプの女児は、魔女の少女がひとり立ちするアニメ映画を観て、魔法使いに憧れて、同じようなほうきを作ってみたり(竹箒じゃ駄目なのだ、木の枝で作らないと)、ふたつ違いの妹とひたすら魔法使いごっこをしていた。
それから30年余。
世の中にスマートフォンやタブレットなどのデジタル機器が浸透し、便利で楽しいアプリもたくさん出ている。
我が家のデジタルネイティブたちも、アプリの中でネイリストになったり、獣医さんになったり、ロケットに乗ったり、私が幼い頃なりたかった魔法使いになったり、想像力を駆使して遊んでいる。
そして、息子おもちくんも、緑耳犬やパンの妖精の動画を見せるために与えたタブレットのアプリで遊ぶようになった。
コーチ役は、姉たちである。
『おもちくんにはこのアプリが簡単で楽しい』
『これはちょっと難しい』
『これは触るだけで遊べる』
と色々教えてくれる。
大人にはない視点、というか、実際やり込んでいる人たちの意見は、貴重だ。
そして、おもちくんは、タブレットのアプリで遊ぶことを覚えた。
飛行機も操縦するし、宇宙にも行く。
アプリの中で、何にだってなれる。
呼吸器回路や酸素のチューブに繋がれて、やや不自由な生活をしているおもちくんは、今日もアプリの中で、自由に飛び回っている。
高く飛べ、息子よ。
こころはいつだって、自由だ。