もいもい

医師。子と織り成す歌詠み。三児の母。おとなげない不惑クラブ。天使になった未の息子、おも…

もいもい

医師。子と織り成す歌詠み。三児の母。おとなげない不惑クラブ。天使になった未の息子、おもちくんは医療的ケア児(気切っ子、EDチューブ経管栄養卒業、NICU・GCU8ヶ月、3歳7ヶ月で帰天)。 おもちくんの名を継いだチワプーおもち(通称黒もち)、トイプードルきなこと暮らしています。

最近の記事

高い柵、いのちの物語

こども病院に、ずらりと並ぶ高い柵のベッド。 入院する理由はさまざまだが、ベッドはこどもたちが一日の大半を過ごす場所である。 おもちゃ、絵本、ガーランド、可愛らしいタオルケット。 病院のルールの中で、思い思いに飾られたベッドは、子どもたちの部屋であり、世界であり、家族の夢や希望がぎゅうぎゅうに詰められている。 おもちもかつてこども病院に『住んで』いた身であるが、 『暑がりだから扇風機つけましょ』 『ハリネズミのアコーディオンぶらさげましょ』 『鏡見るの好きだから柵につけて

    • ベッドの柵はのぼるもの

      ご存知の方はご存知と思うが、息子おもち、生後10ヶ月ほど入院していた。うち8ヶ月ほどNICUとGCUにおり、更にかなりデバイスが必要な医療的ケア児であったため、相当な人数の医療者の方たちにお世話になってきた。医療者の皆さん、まさにおもちの病との戦いを共にくぐり抜けてきた、戦友ともいえる存在である。 そのためか、久しぶりに入院すると、色々な方がご挨拶に来てくださり(おもちの入院をどうやって知るのか毎回驚く)、おもちは忘れているものの、母は感動の再会を喜ぶのである。 『おもち

      • ママを呼ぶ声

        ママ、お母さん。 わが子たちからだけでなく、生活の中で他所様からも母と呼ばれるようになって、幾年か。 最初は『え!ママって私のこと?!』といちいちギョッとしていた私も、今や特に何も感じなくなってしまったが。 『ママー……』 という幼子の声には、ものすごく俊敏に、どんなか弱い囁き声でも、反応してしまう。 おもちが入院するこども病院、基本的に付添の必要のない完全看護の病院である。 明け方ごろ、ふと目覚めて心細くなった子供たちの、『ママ』『パパ』『おかあたん』が聞こえてくる

        • みちみちと育つ

          おもちが入院する度に、必ずやっていることがある。 ベッドで寝ているおもちをカメラに収めることである。 2年ほど前、レスパイト含め定期受診の代わりに毎月のように入院していた頃、『この1ヶ月でどのぐらい育ったかな』と、ささやかな成長記録のために始めたのだが、このたび1年半ぶりの入院にて。 高柵ベッドMサイズ、みちみちの赤ちゃんが撮影できた。 おもち、発達が遅めなぽっちゃりくんにつき、フォルムもとても赤ちゃん的なのであるが、体重15キロ。赤ちゃんとしてはでかい。 とても久し

        高い柵、いのちの物語

          ママがいる

          おもち、久しぶりに入院した。 といっても、2泊3日の検査入院で、本人はいたって元気である。 期限が決まっていること、イヤイヤ期真っ只中で絶対看護師さん泣かせのイタズラをやるであろうこと、病棟ルールがおもちの生活に合わない(付き添えば許可される内容)ことから、付き添うことにしたのであるが。 ぼくのそばにママがいる。 というのが今最も大事な様子のおもち。 病院であるとか、自宅であるとか、そういう場所見知り的なことはあまりないようで、ママがいれば普通にご機嫌で、ご機嫌なまま

          ママがいる

          きょうだいの、まんなか

          3人きょうだい。 と、ひと言でいっても様々な形があると思うが、我が家は年子姉妹と、年の離れた末っ子長男である。 年齢や性別だけみても上ふたりと弟、という2組に分かれがちな印象だが、更に、末っ子のおもちくんは生後長期入院していた医療的ケア児。腫れものとまではいかずとも、訪問診療、療育、訪問看護、リハビリ等等、何かと『自分たちとは違う』『おもちくんは別』となりがちな立場である。 だがやはり、年は離れているといえど、今からでも外国に住んだら日本語を忘れそうな年齢の上の子たち、そ

          きょうだいの、まんなか

          夢みた日常、お茶あそび

          いつ終わるのかも分からぬ長い長いNICU時代、息子おもちを連れて帰りたくて、 『ベビーベッドをここに置いたら』 『リビングでバウンサーに乗せたら』 と、おうちでの生活を色々と、それは色々と、暖かな保育器に寝転ぶおもちの横で妄想していた。 時は経ち、おもちがおうちでの生活を始め、また更に時は流れ、すっかりおもちが 『このうちの子です、病院?何の話?』 という顔つきの幼児になり。 手に持ったストローマグを逆さまにして振る。 中のお茶がぴしゃぴしゃと床にこぼれる。 その

          夢みた日常、お茶あそび

          かわいいひとたち

          すぅすぅ寝息を立てる弟。 その横に寝ころび、弟を見つめる姉。 「おもちくんは私にとってペット・・・?癒し・・・?だから!」 と、幼い語彙故の語弊が生じているものの、常日頃彼女なりに弟への最高の愛を語る上の子が、眠っている弟の長いまつげを見つめながら、 「かわいいなぁ、かわいいなぁ・・・」 と呟いている。 小学校高学年。 少し生意気になってきたけれど、まだ、あどけなさたっぷりの横顔。 ほっぺたがほわっとしている上の子は、生まれたての新生児の頃と、おんなじ顔をしている

          かわいいひとたち

          がたん、がたん、電車

          我が息子、おもちくん。 気管切開とともに生活する、医療的ケア児である。 今年の春先、晴れて日中呼吸器を離脱し、酸素チューブのみで生活できるようになり、おでかけも大分身軽にできるようになったおもちくん。お散歩は毎日のように行くし、新型奴が落ち着いているタイミングには、電車を使ってかなり遠くまで遊びに行けるようになった。 で、おもちくん、子鉄、すなわち、「子供の鉄道ファン」である。 踏切に行けば、必ず「だん、だん、だん(がたんごとん、の意)」と言い、渡らずに何回か開閉を見る

          がたん、がたん、電車

          自分で、着る

          洋服を「着るもの」と認識して、袖に手を通す。 あたりまえのようで、案外難しい、「服を着る」こと。 我が息子おもちくん、ひとと少し違う生まれ育ちなのもあって、やはりゆっくりのんびり育っていて、服を着るということがいまいちわかっていないのかなぁ、と思ったりもしていたが。 いつからだろう、長袖を着ていたから、まだ少し肌寒い春先だろうか。 お風呂の後、パジャマを着る時など、 「おてて通すよ」 というと、あんぱんの妖精や緑耳犬に気を取られていなければ、自分で袖の穴目掛けて手を入

          自分で、着る

          大げさに、告げ口する

          きょうだい喧嘩。 医療的ケア児ときょうだいは喧嘩とかしないものなのかな、とか、年の離れたきょうだいは喧嘩しないものなのかな、とか、思っていたこともあったのだが。 普通に小競り合いも喧嘩もしている。 これは我が家の場合であるが。 もちろん上の子たちと年の離れた小さな弟、姉たちが本気で弟をぶったり攻撃することはない。 しかし、ひじで押す、無理矢理割り込む、タブレットやおもちゃを奪い合う、キーキー怒る、は日常茶飯事である。 姉たちが上手かと思いきや、息子おもちくんも、負けて

          大げさに、告げ口する

          魔法の手

          私は小学生の頃、ひそかに本気で魔法使いになりたかった。 空想力というか妄想力のとてつもなく強いタイプの女児は、魔女の少女がひとり立ちするアニメ映画を観て、魔法使いに憧れて、同じようなほうきを作ってみたり(竹箒じゃ駄目なのだ、木の枝で作らないと)、ふたつ違いの妹とひたすら魔法使いごっこをしていた。 それから30年余。 世の中にスマートフォンやタブレットなどのデジタル機器が浸透し、便利で楽しいアプリもたくさん出ている。 我が家のデジタルネイティブたちも、アプリの中でネイリスト

          魔法の手

          さっぱりしたいお年頃

          おむつが濡れる、 というのはどんな感じか。 昭和の終わりごろ、布おむつを当てられていた赤子の私。やや敏感な性質があり、おむつが少しでも濡れると火のついたように泣く子で、母は苦労したらしい。 もちろん私自身記憶は無いのだが。 さて息子おもちくん、令和生まれ令和育ち。 長期間NICUにいた子で、こども病院では紙おむつ以外の選択肢はないし、母の私は布おむつへの信条は特にないため、生まれた日から高性能紙おむつ愛用中である。 そして、紙おむつも日進月歩の機能改良で、姉ズの時より更

          さっぱりしたいお年頃

          今日も、たれている

          『たれてるぱんだ』 というと、あのひらべったく溶けかけた、20年ほど前にとても流行したパンダのキャラクターを思い起こす大人は多いと思う。 ご多分にもれず、私もそうである。 🐼🎋 さて、息子おもちくん。 『ほっぺがたれている』 とごく一部の人の間で定評がある。 年の瀬、パーティシーズン。 クリスマスや年賀のごちそうはあるものの、ご時世柄我が家は変わらずStayHomeだし、おもちも年末年始なく淡々と日常を過ごすのみだが、私は息子にひとつ芸を考えた。 たれてるパン

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          思い出をよこに、育ってゆく

          きみは母を 思い出の中に 置いてゆくのか 動画アプリを 繰り遊びながら おもちくんの好きなテレビ番組。 といえば、『緑色の耳をした犬の番組』であったのだ。 ほんの2ヶ月ほど前までは。 いつしか、10分ほどのアニメ番組を続けて見られるようになり。 いつしか、DVDの再生ボタンを押せるようになり。 いつしか、扇風機の風量が最大になる換気ボタンの場所を覚え。 最後のはちょっと違うが、いつの間にか、『あんぱんの妖精』の番組、更に映画まで、見るようになった。 緑耳犬の番組

          思い出をよこに、育ってゆく

          ぼくは『ちゃん』

          窓に映るひとは『ぱぱ』 『まま』『ねえね』『ちゃん』 吾子は自分を『ちゃん』と決めたり 息子おもちくん、鏡を見るのが好きである。 今に始まったことではない。 NICUで長いこと過ごしていた、病院がおうちだった頃から、彼のベッドには鏡がセットされていた。 (しかも、包帯を器用に使って、おもちが眺めやすい角度に鏡をセットするのだから、看護師さんたちはすごい。魔法のようである) もちろん、夜、明るい部屋にいて、暗い窓に写るひとの姿を眺めるのも、スマホやパソコンでビデオ通話した

          ぼくは『ちゃん』