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「多様性の科学」で成否の鍵を知る

よく似た人ばかりが集まったところで,斬新な観点は生まれない.大きなイノベーションも生まれない.1+1が1.2くらいにしかならない.強く意識していないと自分の周りは自分に似た人ばかりになる.リアルな友人もそう.ツイッタランドのタイムラインもそう.まさに,類は友を呼ぶの通りだ.多様性を味方にするためには,意識して自分や組織の殻を破らないといけない.特に組織のマネジメントに関わるのであればそうだ.

多様性の科学
マシュー・サイド,ディスカヴァー・トゥエンティワン,2021

本書「多様性の科学」は,具体的な事例や研究結果を挙げながら,多様性の重要性,そして,そこから生まれる融合のイノベーションの重要性を強調する.多様性に欠けた画一的な組織が大失敗する事例として取り上げられているのがCIAだ.そう,911テロ事件だ.

2001年9月11日,ワールドトレードセンターに航空機が突入した.オサマ・ビンラディンがアメリカに宣戦布告したのは1996年.それ以降,エジプト,ケニア,タンザニアでアルカイダによるテロが発生し,数百名が殺害されていた.2001年3月にはパキスタン軍高官がビンラディンを支援しているとロシアの情報機関が国連に対して報告し,その後,航空機でブッシュ大統領を狙うテロ計画が進行中であるとエジプトが警告し,遂にはタリバンの外相までもがアルカイダによるアメリカ壊滅攻撃の計画についてパキスタンの米国総領事に報告した.そして2001年6月には,FBI分析官が,ビンラディンによる組織的テロ計画の可能性があり,複数名を民間の航空学校に送り込んでいるようなので,航空学校のアラブ系学生を洗い出すべきだと通告した.いわゆるフェニックス・メモだ.これだけの情報がありながら,CIAは動かなかった.動けなかった.

911の後,当然のようにCIAは猛批判に晒された.これはCIA史上最大の失態であると.CIAは必死に反論した.テロ計画を事前に察知するのは困難で,CIA批判は「後知恵バイアス」であると.世界には数多くのテロ組織があり,CIAの判断ではビンラディンとアルカイダは注目するに値せず,その捜査優先順位は低かった.

1996年8月,アフガニスタンの洞窟から,顎髭を蓄えた質素な身なりのビンラディンがアメリカに対するジハードを宣言した.CIA分析官はこれを脅威とは認識しなかった.こんな時代錯誤的な奴らがアメリカに何ができるというのか,調査する価値はないと判断した.しかし,ビンラディンは計算し尽くしていた.預言者ムハンマドが神の啓示を受けたのは洞窟だった.多神教から迫害を受けたときには洞窟に逃れた.ムスリムにとって洞窟は聖なるシンボルだ.自分を預言者に重ね合わせることで,若者たちをテロに駆り立てた.また,ビンラディンは自身の声明を詩にして出すことを好んだ.ムスリムにとっては詩は聖なるもので,イスラム文化を表すものだからだ.しかし,CIAは詩を分析はしたもののその文脈を理解できなかった.

なぜか.なぜCIAは失敗したのか.CIAは最高の人材を有している.知的にも精神的にも並外れて優れた人材だけが登用されている.しかし,最高の人材が最高の人材を選抜するが故に同類性選考が働き,CIAにいるのは白人・男性・アングロサクソン系・プロテスタントばかりだった.人工統計学的多様性が皆無だった.もちろんイスラム教徒はいない.そのため,イスラム文化を理解していなかったし,洞窟の意味も詩の意味も汲み取れなかった.CIA分析官は各々最高に優秀でみずからの役割を十分に果たしていた.しかし,組織としては,認知的多様性に欠けていたために,大きく深刻な盲点を抱えていた.もしイスラム文化に精通した分析官がいれば,CIAの判断は違っていたかもしれない.組織における多様性の欠如はこれほどまでに重大な結果を招きうる.

これが「第1章 画一的集団の「死角」」の概要だ.多様性を人工統計学的多様性と認知的多様性とにわけて,組織にとっていかに認知的多様性が重要であるか,その認知的多様性を確保するために人工統計学的多様性がいかに大切かを説いている.多様性があればこそ集合知が生まれる.

続く「第2章 クローン対反逆者」では,多様性がもたらした有益な結果と多様性の欠如がもたらした悲惨な結果をいくつか紹介している.クローンは多数派であり,反逆者は少数派だ.気の合う仲間ばかりが集まった組織は,多様性に欠けるため,致命的な盲点が生まれる.

先日終了したパリ五輪でも話題のマリーアントワネットは「パンがなければクッキーを」で知られるが,イギリスで悪評高い人頭税の支払いに窮した老夫婦に「困ったらいつでも絵を売ればいいじゃないか」と言い放ったのはニコラス・リドレー環境大臣だ.このリドレー環境大臣は人頭税導入の責任者だったが,超富裕層の貴族でイートン校からオックスフォード大学という絵に描いたようなエリートだ.人頭税の審議委員会は彼と似たような経歴を持つエリートで占められていた.委員それぞれは極めて優秀であったが,一般市民の状況などまったく把握しておらず,収入や資産に関係なく誰もが同じだけの税金を納めなければならない人頭税の導入に踏み切った.このような馬鹿げた政策が実行に移された原因は,政策決定者に多様性が欠如していたからだ.

「第3章 不均衡なコミュニケーション」では,組織の階層性と2種類のリーダーについて述べられている.それぞれのリーダーが組織内のコミュニケーションにどのような影響を与え,それが組織の命運をどれほど大きく左右するか.

人間も動物も本能的に階層的な組織での振る舞いを身に付けている.組織には支配するものとされるものがいる.皆初対面のグループでもすぐに序列が生じる.階層が急勾配であるほど,下位の者はリーダーに意見できなくなる.リーダーの権威を犯しかねないからだ.このため,支配的なリーダーを抱く集団では,皆がリーダーと同じ判断をして一方向になだれ込んでいく「情報カスケード」が起きる.階層が組織から多様性を奪い,組織を危機に陥れる.

このような階層と格差の危険性を意識して,かつてGoogleは管理職を廃止してフラットな組織にしようとしたが失敗した.やはり組織に秩序は必要だ.序列の存在,リーダーの存在が問題なのではなく,リーダーが強権的支配的であることが問題なのだ.必要なのは支配的なリーダーではなく,尊敬を集めるタイプのリーダーだということになる.力の誇示でなく知恵の共有を進め,攻撃ではなく寛容を重んじ,抑圧ではなく自由を与え,自己陶酔的自信ではなく誇りを持つリーダーが大切になる.得がたいのは承知の上で...

そういうリーダーを抱く尊敬型ヒエラルキーの組織では,心理的安全性の高い環境が実現され,構成員はその能力を発揮し,多様な意見が出され、集合知を活用できる.ところが,歴史が示す通り,不確かで不安定な状況になると,多くの人は支配的リーダーを求める.力強いという理由で.しかし,不確かで不安定な状況では多くの情報を収集し多様な声を聞いて集合知を活用して的確な判断を下さなければならないにもかかわらず,支配的リーダーにはそれができない.しようともしない.ただ,これはリーダー個人の問題ではなく,選ぶ側の問題だ.平和で秩序ある社会を維持するために,誰しもが肝に銘じておかなければならない.

本書では,エベレストで起きた大規模遭難事件を具体例としてリーダーのタイプとコムニケーションの関係性について説明している.エベレスト登山記録を調査した研究によると,支配型ヒエラルキー文化圏の登山隊には死者が顕著に多いそうだ.登山家個人には傾向は見られない.

もっと身近な話題として,会議の生産性が取り上げられている.支配的リーダーがいる会議は生産性のない会議になりがちだ.誰もリーダーに意見できないなら会議をする意味がない.ただし,支配的というのは強権的であることに限らない.例えば圧倒的な能力差があれば,そこに急峻な階層が生じ,下位の者は意見できなくなる.大学の研究室でもそうなっておかしくない.

会議を生産的にする工夫として,Amazonの「黄金の沈黙」がある.パワポ(箇条書き)ではなく文章を用意して,会議の冒頭で全員が黙読する.事前に出席者全員に自分の意見を書いたメモを提出させて匿名で配布して読み上げる企業もある.ブレインライティングという方法もある.全員が匿名で付箋か何かに意見を書いて,それらをごちゃまぜにした上で,全員で検討する.ブレインストーミングの匿名版と言えるだろう.そうすることで声の大きな人物の意見が通ることを防げる.

「第4章 イノベーション」では,アイディアを交配すること,そのためのコミュニケーションの重要性が指摘されている.

ある方向に少しずつ前進する漸進的イノベーションと,異分野のアイディアを交配して新しいものを生み出す融合のイノベーションがある.大きな変革を起こすのは融合のイノベーションであり,そのためには社会的ネットワークが不可欠だ.伝わらなければ融合は起きない.孤立した天才がイノベーションを起こすのではない.

ハーバード大学のヘンリック教授の言葉がある.「クールなテクノロジーを発明したいなら,頭が切れるより社交的になった方がいい」

内容の紹介はここまでにしておこう.とても刺激的な内容で学ぶことが多かった.

目次
第1章 画一的集団の「死角」
Ⅰ 取り返しがつかない油断が起こるとき
Ⅱ 人材の偏りが失敗を助長している
Ⅲ 多様性は激しい競争を勝ち抜くカギだ
Ⅳ 異なる視点を持つ者を集められるか
Ⅴ 画一的な組織では盲点を見抜けない
Ⅵ CIAの大きなミス
Ⅶ 多様性が皆無だった当時のCIA

第2章 クローン対反逆者
Ⅰ なぜサッカー英国代表に起業家や陸軍士官が集められたのか
Ⅱ 人頭税の大失敗
Ⅲ 町議会の盲点はこうして見抜かれた
Ⅳ ウサイン・ボルトが6人いても勝てない
Ⅴ 精鋭グループをも凌いだ多様性のあるチーム
Ⅵ 女性科学者には男性科学者が見えないものが見えた
Ⅶ なぜ暗号解読に多様性が必要なのか

第3章 不均衡なコミュニケーション
Ⅰ 登山家たちを陥れた小さな罠
Ⅱ 機長に意見するより死ぬことを選んだ
Ⅲ 落とし穴を作った小さなヒエラルキー
Ⅳ 反逆的なアイデアが示されない会議なんて壊滅的だ
Ⅴ Googleの失敗
Ⅵ 無意識のうちにリーダーを決めてしまう罠

第4章 イノベーション
Ⅰ 世紀の発明も偏見が邪魔をする
Ⅱ イノベーションには2つの種類がある
Ⅲ 世界的に有名な起業家たちの共通点
Ⅳ そのアイデアが次のアイデアを誘発する
Ⅴ なぜルート128はシリコンバレーになれなかったのか
Ⅵ 社員の導線までデザインしたスティーブ・ジョブズ

第5章 エコーチェンバー現象
Ⅰ 白人至上主義
Ⅱ 数と多様性の逆説的結果
Ⅲ 信頼は人を無防備にする
Ⅳ 極右の大いなる希望の星
Ⅴ 傷つけるべきでなかった人々
Ⅵ 政治的信条の二極化はこうして起こる

第6章 平均値の落とし穴
Ⅰ 我々がダイエットの諸説に惑わされる理由
Ⅱ 標準規格化されたコックピット
Ⅲ 標準化を疑う眼があなたにはあるか?
Ⅳ 硬直したシステムが生産性を下げ、離職率を上げる
Ⅴ 独自の環境を作ることで才能は開花する
Ⅵ 標準を疑え! 食事療法は一人ひとりで異なっている

第7章 大局を見る
Ⅰ 個人主義を集団知に広げるために何ができるか?
Ⅱ 人類は本当に他の生物に優っているのか?
Ⅲ 人間が唯一優れている能力とは?
Ⅳ 日常に多様性を取り込むための3つのこと
Ⅴ 自分とは異なる人々と接し、馴染みのない考え方や行動に触れる価値
Ⅵ 変われるか、CIA

© 2024 Manabu KANO.

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