「葉隠(はがくれ)」で武士道を学ぶ
「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」の一節であまりに有名な「葉隠」.佐賀鍋島藩士であった山本常朝が口述し,それを田代陣基が記録したもので,徳川4代将軍家綱の頃のことだ.
葉隠
三笠書房,2004
徳川3代の治世で幕藩体制が確固たるものとなり,武士の生き方も大きく変わってきた時代にあって,山本常朝は,文字通り,自分の生命を賭して主君に忠義を尽くそうと誓っていた.そのような山本常朝が遺した言葉であるから,武士道の聖典とまで言われるのであろう.
なお,武士道の書ではあるけれども,葉隠に書かれている内容は多岐にわたる.例えば,「恋の至極は忍恋」といったように,恋愛にまで話は及ぶ.この恋愛はともかくとして,いつでも死を選ぶといった武士の覚悟だけではなく,人との付き合い方や酒席での心得,様々な型の上司や部下との接し方など,生き方のコツも様々書かれている.このため,現在でも広く読まれているのだろう.
山本常朝は万治2年(1659年)の生まれ.ひ弱であったが,9歳で鍋島光茂(佐賀藩2代藩主)の小僧として召し使われ,14歳で光茂の小々姓となり,延宝6年(1678年)に元服すると,御傍役として御書物役手伝になる.湛然和尚に仏道を学んだ他,藩随一の学者といわれた石田一鼎の薫陶を受けた.光茂が69歳で亡くなったとき,当時は幕府により追腹が固く禁じられていたため,30年以上「お家を我一人で担う」との心意気で側近として仕えた山本常朝は殉死が叶わず,出家した.田代陣基が常朝を訪ねたのはその10年後,宝永7年(1710年)のことで,そこから「葉隠」の口述筆記が始まった.享保元年(1716年)9月10日,田代陣基が「葉隠」全11巻の編集を終えた.
「武士道」と言えば,”BUSHIDO: The Soul of Japan”も忘れてはならない.
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