【52】稲盛和夫の「生き方」を読んで【AIアシスタントを使ってみた】
私は毎朝ご先祖さまのお墓参りに行くことが日課です。写真は私の墓仕事を待つ愛犬ゆうぞう。
毎日、お墓参りに行く理由はたくさんあります。
一つ目は、朝からお墓の掃除をして、お手を合わせたら気持ちのいい1日を過ごすことができる
二つ目は、犬の散歩になる
三つ目は、家族や祖母の負担が減る(鹿児島は、ご先祖様を大切にする文化があり、最低でも週に1度はお花を変えにお墓にいきます)
四つ目は、とんでもない坂道にあるので、運動になる
目的が増えれば増えるほど、やる意味ができて習慣になりやすいと思うので、私は何か新しいことを始める時は必ず、続けることによるメリットを考えるようにしています。
さて先日、稲森和夫さんの「生き方」という本を読みました。
今回は読破して心に残ったフレーズを書き出してみました。
それを元に、noteの新機能、AIアシスタントを使って要約していこうと思います。
心に残ったフレーズ
人格と言うものは、性格+哲学と言う式で表せる人間が生まれながらに持っている性格と、その後の人生を歩む過程で学び、学び、身に付けていく哲学の両方から人格と言うものは成り立っている。つまり性格と言う先天性のものに哲学と言う後天性のものを付け加えていくことにより、私たちの人格 心魂の品格は陶冶されていくわけです。
良い心とは常に前向きで建設的であること、 感謝の心を持ち、みんなと一緒に歩もうと言う協調性を有していること、明るく肯定的であること、善意に満ち思いやりがあり、優しい心を持っていること努力を惜しまないことを知り、利己的でなく強欲ではないことです
平凡な人材を非凡に変えたものは何か1つのことを飽きずに、黙々と努める力、いわば今日1日懸命に生きる力です。またその1日を積み重ねていく継続の力です。すなわち継続が平凡を非凡に変えたのです。
答えは常に現場にある。しかしその答えを得るには、心情的には仕事に対する誰にも負けない強い情熱や深い思い出を持つことが必要である。そして物理的には現場を素直な目でじっくり観察してみる。 じっと目を向け、耳を傾け、心を寄り添う寄り、添わせるうちに、私たちは初めて製品が語りかけてくる声を聞き、解決策を見出すことができます
嘘をつくな。正直で、あれ欲張るな人に迷惑をかけるな人には親切にせよ、そういう子供の頃、親や先生から教わったような人間として守るべき当然のルール、人生を生きる上で、真剣的に知っているような当たり前の規範に従って経営も行っていけば良い。
人生では、知識より体得を重視するということも大切な原理原則です。これは言い換えれば知っていることとできることは、必ずしも=ではない。知っているだけでできるつもりになってはいけないと言う戒めでもあります。
物事をなすには自ら燃えることができる自燃性の人間でなくてはなりません。私はこのことを自ら燃えると表現しています。物には3つのタイプがあります。①火を近づけると燃え上がる可燃性のもの②火を近づけても、燃えない不燃性のもの。自分で勝手に燃え上がる自燃性のもの
自分の仕事がどうしても好きになれないという人はどうすれば良いかとにかくまず一生懸命一心不乱に打ち込んでみることです。そうすることによって苦しみの中から喜びがにじみ出るように生まれてくるものです。好きと打ち込むはコインの裏と表のようなもので、その因果関係は循環しています。好きだから仕事に打ち込めるし、打ち込むうちに好きになってくるものですものです。
どのように優れた能力もそれが生み出したせいかも、私に属しながら私のものではありません。才能や手柄を私有、独占することなく、それを人様や社会のために使う。つまり己の才を公に向けて使うことを第一義とし、私のために使うのは第二義とする。私は謙虚と言う美徳の本質はそこにあると考えています。
かつての日本人はもう少し遠回りだけれども、大きなものの考え方をしていたものです。わが敬愛する西郷隆盛も、徳高き者には高き地位を功績多き者には報酬をと述べています。つまり功績にはお金で報いればいい、人格の高潔なものこそ、高い地位を据えよと言っているのです。
人の上に立つリーダーにこそ、才や便ではなく、明確な哲学を基軸とした深沈厚重の人格が求められます。謙虚な気持ち、内省する心、私を抑制するか克己心、正義を重んじる勇気、あるいは自分を磨き続ける慈悲の心。一言で言えば、人間として正しい生き方を心がけている人でなくてはなりません。
正しい生き方とは決して難しいことでは無いはずです。子供の時に親から教わったごく当たり前の道徳心嘘をつくな。生直であれ、人を騙してはいけない。欲張るな。そーゆーシンプルな規範の意味を改めて考え直し。それをきちんと遵守することが、今こそ必要なのです。
心を磨く指針として、私は自らの経験から次のような6つの精神が大切ではないかと思い、周りの人たちに説いてきました。
①誰にも負けない努力をする
人より多く計算する。またそれを下向きに継続すること不平不満を言う暇があったら、1センチでも前へ進み向上するように努める
②謙虚にして驕らず
謙は益を受くと言う中国の古典の1節の通り、謙虚の心が幸福及び魂を浄化することにもつながっていく。
③反省ある日々を送る
日々の自分の行動や心の有り様を点検して、自分のことだけを考えていないか、卑怯な振る舞いがないかなど自省自戒して改めるよう努める。
④生きていることに感謝する。
生きているだけで幸せだと考えて、どんな小さなことも感謝する心を育てる。
⑤善行、利他行を積む。
積善の家には余慶あり。善を行い、他を利する。思いやりある言動を心がける。そのような善行を積んだ人には良い報いがある。
⑥感性的な悩みをしない。
いつまでも不平を言ったりしても、仕方のない心配にとらわれたり、くよくよと悩んではいけない。そのためにも後悔をしないような位、全身全霊を傾けて取り組むことが大切である。
「神様、ごめん」と「なんまん、なんまん、ありがとう」は互いに水を出している私の口癖といえます。つまり反省と感謝の心をこの2つの道違い、言葉に代表されて、自分を理するための単純ですが、明快な指針としているのです。
練習では、お寺の雲水は、食事の用意から庭掃除まで日常のあらゆる作業を行いますが、それは座禅を組むことと同等のレベルに位置づけられています。つまり日常生活の労働に懸命に取り組むことと座禅を組んで精神統一を図ると、この間には、本質的なはないと考えられているのです。日常の能力がすなわち修行であり、一生懸命仕事に取り組むことが、そのまま悟りにつながるにきたと教えているわけです。
遊んでいるよりも、働いているときに喜びを感じる精神性。単純労働であっても、そこに創意工夫を働かせて、仕事を楽しくする術、他人から強制されて働かされるだけではなく、自分が労働という行為の主体となって働く知恵、そういうものを確かに私たちは許していました
自らに向けては、己を利する厳しい倫理を外に向けてはりたと言う対義を自分たちの義務としていたわけです。その結果、資本主義経済は急速に発展を遂げることができたのです。
まず、相手の立場を尊重する姿勢、己の意見だけに固執せず、相手の考えも十分に思いやる気持ち、そうした利他の心をベースとして話し合いを進めようではないか
昔からそういった生きる指針となる哲学と言うものを人々に教えてくれたのは、仏教やキリスト教に代表される宗教でした。これらの宗教の教えは、人々が生活を営む上での道徳規範となっていました。
良いことをすれば良い結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。善因は善果を生み、悪因は悪果を生むと言う原因と結果をまっすぐ結びつける単純明快な掟です。
真我や魂から発する理性と良心に従って、過去とした倫理観や道徳感を心にインプットしてしまう。すなわち世のため人のために尽くすと言う考え方。欲望のままに必要以上にものを求めたりサボったりしない足を知ると言う生き方を心に刻みつけるのです。そのような理性と良心を持って感性や本能を抑制しつつ、人生を歩み、良き経験を多く進め、進んでいくことが、つまり心を磨くことになり、つながり おのずから悟りに近づくことにもなる
一生懸命働くこと、感謝の心を忘れないこと。善き思い、正しい行いに努めること。素直な反省心でいつも自分を利すること、日々の暮らしの中で心磨き、人格を高め、続けることなわ、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことにまさに生きる意義があるし、それ以外に人間としての生き方は無いように思います。
AIアシストタント(β)を使ってみた!
無料は5回までなので要注意です。
感想
文章が多いためか、画面が下にスクロールできなくてちょっと使いにくかったです。
また、これは仕方ないことかもしれませんが、要約することによって、稲森和夫さんの熱い想いがどこかに飛んで行ったような、なんだか空虚な言葉になってしまいました。
ちなみに、私なりの生き方の要約は
ありがとうございました!