休む休まないのボーダーライン
自分の体調において“学校や仕事を休む休まない”の基準って皆さまどこをボーダーラインとしていますか?
頭痛や腹痛で休む方もいらっしゃれば、何となくダルいから休むという方もいらっしゃいます。発熱をボーダーラインとしている人も居れば、どんなに具合悪くても出席・出勤する方もいらっしゃます。
私は学生の頃は、どんなに頭痛が酷くても、朝起きてゲーゲー吐いても熱が無ければ両親に是が非でも出席しなさいとケツを蹴られていました。
高校生の頃に偏頭痛がひどい時期があったのですが、その期間は両親には隠して保健室通学をしていたものです。
私の生家は決して学のある家系とは言えませんでした。
農業・酪農・養蚕で名を上げた家だったので学歴は両親共に高卒、私自身も最終学歴は専門卒という肩書ではあるものの、社会通念的に専門卒というのは高卒と同じ区分ですから意味を為さないと言っても過言では無いでしょう。
そんな我が家の教育方針は常に“毎日学校に来る馬鹿と、たまにしか来ない天才だったら企業はどっちが欲しい?”というものでした。
進級・進学するに差しあたって、どうしてもテストの点数というのは避けては通れない道です。
しかし、私自身、勉強はゴリゴリの文系タイプで理数学科はまるっきりスカンピンで、さらに元々の性格も引きこもりがちだったので体育も全くダメでした。となると、頼りの綱は内申点という状態だったので、上記の教育方針で通学しないと進級すら危ぶまれている状態という訳でした
そんな状態で小中高校生時代を過ごしたので、発熱やインフルエンザ等の特別な事象を除き意地でも出席しないとならないし、それが当たり前だと思って生きてきたのです。
そしてそれが時代に沿わない方針だとは全く疑ってすらもいませんでした。
学業がスカンピンでも、専門学校というのに通い、尖った知識を手に入れれば私でも何とか大きな企業に就職する事が出来ました。その企業には今も勤めております。
最初の頃は、あちこち出向したり、現場職となったりしていましたが、幸か不幸か今、私が座っている中間管理職の席(とは言ってもニュアンスとしては施工管理や工程管理が近いですが…)に異動となり、大勢の現場職の人間へ指示を出す立場へとなったのです。
その席に座って驚いたのは“フランクな理由で休む人間の多い事多い事”!!
一応は中間管理職となるので、勤怠に関しては私に先ずは第一報が入るのですが、『お腹が痛くて』とか『頭痛が酷くて』とか『子供が熱を出して』とかそういう理由で休む方が多かったのです。
私は『発熱が無ければ出勤しなくてはならない』と思っていましたし、それが世の中の共通認識だと思っていたので本当に驚きました。
中間管理職になって間もない私は始めの頃はその勤怠連絡に対して『熱は有るんですか?』とか『熱が無いなら何とか来れないですか?』とか『薬を飲めば大丈夫でしょ。』とか『子供って…奥様は何されてるんですか?』とか、今思えばパワハラでしかない回答をしていたのです。(パワハラと言っても私は役職無しの中間管理職だったので、ヒエラルキー的に言えば周りの方の方が高かったんですけれどもね。)
そう両親に教育されて育ってきましたから、そう言って当たり前で、休む人間が悪いのであって私は全く悪く無いのだと思っていました。
そうして“下からパワハラ行為”を続けている内に、内部告発というか通報されてしまい、当時の上司と面談する事になったのです。
どうして無理に出勤させようとするのですか?と聞かれた時に、私はこれまでの私の家系の教育方針について話をすると
『それは私の代なら通用しただろうけど、今はそういう時代じゃ無いからね。昔は是が非でも出勤を強いていたし、具合悪い社員をわざわざ家まで迎えに行った事もあったけど、今は社員が休んだら休んだなりの采配をしなきゃならないから、それがあなたの仕事だからね。』と少し上司本人もバツが悪そうに私に諭したのを覚えています。
今は決して人員が多いとは言えませんが“令和の中間管理職”として、臨機応変に対応出来るようになりました。
そういえば同棲しているパートナーも割とフランクに休暇を取得するタイプでした。友人と遊ぶとか、些細な体調不良でも休んでいます。
以前に私が、そんな勤怠で社会人としてどうなのかとそれとなく叱った事があります。
その時にも
『老害?』
と一蹴された事がありましたね…。
一応私も“そういう時代”というのを理解してきたので、年に一回くらいは…なんて仮病のズル休みをしたりもします。その辺の話は私の下記note記事を読んで頂けたら幸いです。
というか、この記事本当に何も浮かばなくて出した雑noteなんですけど、私が公開しているnote記事の中でもトップ3に入る閲覧者数なんですよね……。嬉しいやら恥ずかしいやら。
それだけ世の中の人間が休むという行為に対して後ろめたさ感じているというか、疲れているんだなって感じます。
休もう!!フランクに!!(どの口が言っているのか)
昨今の学校や企業における教育現場では、体罰というのが日々問題視されています。私が学生の頃は、頭をグーで殴られる、平手打ち、クラス全員の前で怒鳴られる、なんてのは当たり前でした。今の時代では立派な体罰です。
親の教育も変わったようです。私が幼い頃は何かを“しでかした”時には親から殴られる蹴られる怒鳴られるは当たり前で、それに加えて自家用車のトランクに詰められて山中の神社に置いていかれた事もありました。今の時代では立派な虐待です。
私が人の親となる時がもし来れば虐待にならないように“時代”というのをしっかりと考証しなくてはならないと感じています。
そしてそれは何も、自分の子の教育のみでは無く、私が今の企業に勤めてどんどん後輩が出来ている中でも同じです。
『俺が若い頃は〜…』なんて話をする役員連中共を私が嫌うように、後輩や部下から『かりゅうきぞくさんって、時代遅れの老害だよね』なんて陰で言われないように気をつけないとなと、中間管理職として板に付いてきた私は常々思っているのです。
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