
料理人の修行は必要なのか?
お店では厨房の動きが見える席がお気に入りの漢、
オレはゆうじです。
いつも家庭料理にフォーカスしたテーマで書いているんですが、珍しく飲食店に関するお話。
まず僕の結論から申し上げますと、
あなたが料理人になりたいなら
修行はしたほうがいいと思っています。
自分で言っといてなんですが、ちょっと意外かなと。
どちらかというといつもは、
センスとかで逃げるな!言語化しろ!
感覚とか経験に頼るな!!
みたいな意見をベースに発言しているものですから。
ここで強調しておきたいのは「料理人になりたいなら」という部分。
もし「料理が上手くなりたい」とか「寿司握れるようになりたい」みたいな
技術を身につけることが目的なら修行は必要ないです。
むしろコスパ悪いとすら思ってます。
これが僕の基本的なスタンスです。
ちなみに僕はチェーン店ですが一応飲食店で4年間働いた経験があるので、いわば「修行」をしてきた側の人間なので、どうしてもそっちに偏ってしまう部分はありますが、あくまで一意見として見て頂ければと。
主なポイントは3つ
①料理が上手い「だけ」では料理人になれない
②行雲流水
③すべての出会いに感謝
参ります。
①料理が上手い「だけ」では料理人になれない
料理人が修行をしたほうがいい理由の根本はこれだと思ってます。
冒頭で話したように料理が上手くなりたい「だけ」なら修行は必要ないです。
コスパ悪いだけ。
ただ、料理人になりたいならこの料理が上手い「だけ」では無理。
なぜか。
料理人(=料理を仕事にする人)になるにあたって
「料理が上手」とか「おいしいものを作れる」というのは
最低限の超当たり前のことです。
なんのアドバンテージにもなりません。
というかおいしさを競う領域というのはかなり高次元の戦いです。
そんじょそこらの料理人(笑)が立ち入れるような領域ではありません。
じゃあ最低限のおいしい料理のラインがどのくらいかっていうと
「70点くらいの普通においしい料理が作れる」
これくらいでいいと思います。
低くね?
って思う人多いかもですが、大事なのはそのあとです。
②行雲流水
こううん‐りゅうすい〔カウウンリウスイ〕【行雲流水】
空を行く雲と流れる水。物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動することのたとえ。「—の生活」
すみません思わずアカデミックな部分が出ちゃいました。
飲食店での現場において何が大事かっていうと
流れに乗ることだと思ってます。
調理スタッフ、ホールスタッフ、そしてお客様。
とにかくいろんな人がかかわってお店の空間全体を作り上げています。
「流れに乗るのではなく自分で作れ!」
とか言う話もありますが、それは自分で経営とかマネジメントする立場になってからのお話。
まずは歯車の一つとなってお店という川がどうすればスムーズに流れるのか?
そしてそのために自分はどう立ち回ればいいのか?
このあたりを考えて動きましょう。
ごちゃごちゃ言いましたが
要はチームワークが大事ってことです。
自分の仕事だけやってればいいなんてことはもちろんなくて、
なるべく全員の動きを把握しながら動く必要があります。
スタッフの動きはもちろん、お客様の動きまで。
お客様が注文済みだとしたら、オーダーは正確に伝わっているのか。
そのメニューの調理は進んでいるのか。進んでいるとしたら盛り付けなのか、加熱中なのかどういう状態なのか。
出来立てを提供するためにホールスタッフの余裕はあるか。
今お客様が入店したということは約10分後にはオーダーが来る。
そのときキッチンはすぐにオーダーに取り掛かれる状態なのか。
みたいな感じです。
たとえめっちゃくちゃ料理がうまい人が一人いて、お客様もその人の料理目当てにお店に来たとしても
チームワークがゴミだったらお店は簡単に崩壊します。
もうちょっと具体的に言うと
・コース料理を頼んだら前菜の次にデザートが出てくる
・その次に出てきたのはステーキと気の抜けた食前酒
・最後に別のテーブルのサプライズケーキが出てきた
・ただ一つ一つの味は今まで食べた中でダントツの美味さ
こんなイメージですね。
キッチンとホールの連携がぐっちゃぐっちゃだとこういうことが起きます。
一番最後の味がトップクラスってところだけ見ればいいかもですが、
実際また行きたいと思いますか?
僕だったらシェフを店の裏に呼び出してボッコボコにします。(※は?)
③すべての出会いに感謝
お客様への感謝
従業員への感謝
食材、調理器具への感謝
業者様への感謝
前述したように、お店というのはいろいろな人が関わって作り上げています。
料理人として歩んでいきたいのなら感謝の心を忘れてはなりません。
なんかキレイごとのように聞こえるかもですが実際結構大事なんじゃないかなと。
料理ってけっこう気持ちが出ると思うんですよね。
具体例として僕の飲食店時代のお話をしましょう。
僕が当時入ったお店は新しくオープンしたばかりということもあって、店長クラスのエースプレーヤーたちがけっこう集まっていました。
立地も相まってオープン当初からそれはもう凄まじい賑わい方をしていて、入ったばかりのぺーぺーだけじゃどうにもならない状態だったのでいろんなお店の方が期間限定でヘルプに来てくれていたという感じです。
なかでも特に仕事ができる人がいて、
どんなにたくさんのオーダーが入ってもリアルに普通の人の3倍くらいの凄まじいスピードでオーダーをこなしていきました。
なんならキッチンだけじゃなくてホールの動きにも気を配っていて、ちょっと料理出すのが遅れそうだなってときは、キッチンからホールに出て自ら料理を運んで、またキッチンに戻って次のオーダーをこなすというような感じで、まさにエースプレーヤーといった感じでした。
それはもうみんなの憧れの的でした。
ただ、
僕はその人のことが苦手でした。
というのも気分の浮き沈みが激しいようで、かつそれをオモテに出すタイプの人だったんですよね。
技術を盗もうと思ってよく近い場所で学ばせてもらおうとしていたのですが、オーダーがたくさん入ったりすると
「マジかよ多いな」
「めんどくせえなもう」
といつも小声で言っていました。
確かに仕事は早いです。
どんなにたくさんのオーダーも凄まじいスピードで「こなしていきます」
しかし盛り付けがとにかく雑で、おいしそうに見えない。
正直僕は食べたくないな…と思ってしまうレベルでした。
もちろんそのまま出すわけにはいかないということで、別の人が指摘すると
「チッなんだよウルセエナ」
とかキレる始末。
多少は改善されますが、まあなんつーか…
仕方なくやってやったって感じがむんむんです。
その後時が経ち、別のお店でこの人の仕事が問題になって会社の偉い人からゴリ詰めされたとかされてないとか。
話がそれましたが、こういう感じで
料理にはけっこう気持ちが出るんじゃないかなと思ってます。
その過程を見ていなければわからないという意見もあるかもですが、たぶん見る人や食べる人によっては感じとってしまう人もいると思います。
ましてや料理人の世界で生きていきたいならなおさら。
トップクラスの料理人からしたら一目瞭然でしょう。
逆に言えばこういうマインドの部分が長年積み重なっていくと、人としての厚みみたいなもんが出てきて、料理に奥深さとかオリジナリティが生まれていくんじゃないですかね。知らんけど。
はい。
そんなわけで本日は料理人の修行は必要なのか?というテーマについてつらつら書いてみました。
料理人を料理人たらしめるものって正直心構えとか姿勢みたいな、言語化できない部分がけっこう大きい気がするんですよね。
今時おいしいものの作り方なんていくらでも手に入る時代なので、それでもわざわざ修行をするのはそういうマインドの部分を鍛えるためなんじゃないかと。
というわけでもし料理人になりたいと思う人は、多少なり修行を積むことをおススメします。
もちろんリスペクトを持てる相手のもとで修行しましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。