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豊島与志雄『死ね!』朗読 🕯 感想文。
2025年に入って、私は走馬灯のように過去の出来事を思い出したり、きのうのことのように反芻したりしている。
(走馬灯の実物見たことありますか?カラフルでかわいいんですよ!)
もうすぐ死……という訳じゃなく、総決算のときなのだと思う。
よかったこともそうじゃなかったことも、水に流す。
占い師なら星の動きである程度、国や民に起こりそうなことを予測が立ったりして、でも物静かで思慮深いひとが多いため、なんとなく知っていても黙っている。伝えることにも、伝えないことにも、意味がある。
なにも知らないで、起きるべきこともある。
私は未来予知は勉強してないけどね。
「わかっているなら国と民を救えよ!」と占い師を声高に責めるひとがいるが、よく勉強すればするほど、そういうものじゃない、とわかってくるのだ。
世界で起きることのすべてに善悪の判断はつけられない。
それは見るひと、見る立場によって善し悪しが異なるから。
死ぬことすらも、明確に善いかダメかは決め難い。
豊島与志雄『死ね!』
という短編小説を朗読した📚
文体を見て、私は関西弁スピーカーなので関西弁を採用した。
以下感想、ネタバレします⚡
青空文庫で見つけて本文だけを読んで著者について調べて、「これは太宰治の話だ」と早々に思い込んだまま、最後まで読んでしまった。
私は太宰が好きなのだ。
しかし、配信から日にちが経ってあらためて調べると初出が1934年で、どちらかと言えば芥川龍之介の没年(1927年)の直後に近かった。
芥川龍之介について私はくわしくない。
豊島与志雄は両者と浅からぬ縁があった。
ここでは詳細は省く。
この『死ね!』に登場する「彼」のモデルが芥川かどうかはこの際、検証しない。
「彼」は金銭管理が苦手で、高利貸しに借りては酒を飲んだり、できもしない人助けをしたり、芸者と死のうかなんて言ったり。
「私」はその挙動にいちいち心配してしまう。
文学者の彼はまともな職に就こうとしない。
夢を見て、霞を食って、生きているような男だ。
以前、読んだ坂口安吾作品の影響もあり、私小説スタイルをとってはいるが「私」は女なのではないかと思って読み始めたら、なんのことはない作者自身であるようだった。
どっかで女であってほしいと思っていたが、男だった。
「私」は忙しく働きながらも彼とその愛人の様子を気遣う。
あんな女のどこがいいんだ、などと「私」は「彼」を問い詰める。メンヘラ彼女みたいに!
「彼」は芸者の女を愛しているなどと言う。
けっきょく最後、「彼」はどっかへ行ってしまう。
私はこういう、天才芸術家が自分の元を去って行くような話が好きだ。
これまた以前、朗読した堀辰雄『聖家族』がまさに芥川龍之介に取り残された「私」の物語である。
私も実際に何度か経験していて、トラウマの再演というか、郷愁というか。
私はいつも取り残される。
それが不思議と悲しみとある種の心地良さを残す。
私はいつも「彼」または「彼女」にやきもきさせられる。
狂おしく惹かれているから。
互いに気持ちはあるけれど、彼らは芸に身を売った人種であり、生臭い人間の生活を所望する私とは、最後の最後で相容れないのだ。
『死ね!』のなかで「私」は去って行く「彼」に言葉を投げつける。
死んでしまえ。というその言葉尻に「愛してる」が滲む。
引き止めたいが、できないのだ。
私と彼は相容れないのだ。
そこに共感した。
「彼」はその後どうなったのかは書かれていない。
そこはどちらでもよいのだが、「私」はうっすら死の気配を感じている。
でも、彼をまるごと受け止めることはその自死すらも受け入れることなのだ。
だから叫ぶことしかできなかった。
全員、酔っているようなどうしようもない話だが。
私はかつてそれを地で行っていた。
いまは田舎の肝っ玉母さんである。
どっちの私も悪くはない、と思う。
《占星術的余談🌟》
言い過ぎ注意。御免ナサイ。
芸者の千代子の性格の描写で「いつも飛行機に乗っているような…」とある。ほか、調子のいいところやその日暮らしに見える様子など。
それでこのひとは射手座っぽいなと私は思った。
べつに「彼」が相手でなくてもよく、状況を楽しんでいるようなところも。
そして文学者の彼は極めて双子座っぽいと。
陽気に振る舞って饒舌なのに考えているのは鬱展開だったり。
このあたりで、私は双子座の太宰治かと錯覚してしまった。とんだ勘違いだったが。
双子座と射手座が強い興味を抱き合うのは物語としては宿命的。
ところが、現実の芥川龍之介は魚座。
もし、「彼」のモデルが芥川なら著者・豊島与志雄は射手座なので「相容れない」。であれば、この作品に対して抱いた私の印象と辻褄が合ってくる。
私の考察としては、「私」も千代子(射手座の女)のようにあっけらかんとして、無邪気で自分勝手な彼の傍に居られたらよかったのに、という願望を含んだ描写に感じた。
実際には、スクエアなふたり。
BL小説ではないが、同性に対して得も言われぬ感情を抱くことはあるものだ。
柔軟宮しか出てきてない・・・!乙女抜き🤍
覗いてくれてあなた、ありがとう。
不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。
また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。