価値の明確化
前回の投稿から日が空いてしまいました。
今日は道徳科の一読総合法以外の道徳の方法として、価値の明確化について紹介します。
価値の明確化は、1950~1960年代のアメリカの「人間性回復運動」から生まれてきたものです。この時期のアメリカは、ベトナム戦争からくる、厭戦気分や人間や伝統的な価値観に対する反動がありました。
国の示してきた伝統的価値観に従い、正義の戦争を行った結果、ベトナム戦争が悲惨な結果を生み出したことは承知の通りだと思います。
そのため、この価値の明確化は相対主義という方針を取ります。
「相対主義」とは人間の持つ価値観には絶対的な優劣は存在しないとする考え方です。
優劣が存在しない以上、どんな価値観であってもそれを受け入れ、お互いに尊重しあうことが大切であり、そのような態度を育成していくこと、そして、自分が大切にするべきものは何かを明確にわかっている人間を育てることが道徳教育であるという考え方です。
授業の流れは以下のようになります。(「幸せ」についての授業の場合)
①幸せって何?を読む。
②自分にとってどれが一番幸せで、自分から最も遠い幸せは何かを選ぶ。できるだけ理由を明確にしておく。
③グループで自分の考えや理由を聴きあう。
④もう一度自分で一番の幸せは何か考える。
⑤結果をクラスのみんなや先生に話す。
⑥振り返り。
特徴的なポイントは③の聴きあうという部分です。価値観に優劣は存在しないという前提に立つため、議論はしません。つまり、自分の価値観や理由を否定されることなく受け入れられることにより、安心感が生まれます。そのうえで、他者の理由も同じように聞く中で確固たる自分というものを作ってきます。
価値の明確化の強みは以下のようなものです。
・価値観を否定されない=自分を否定されない=安心感
・安心感のある場所でこそ人は積極的に活動できる。
・自分の価値観の練り直しをいつでもすることができる。
ただし、どんな方法にも限界はあります。
・相対主義という立場上、理論的に自己矛盾を抱えざるを得ない。
・善悪をしないため、極端な例を挙げると、幸せとは「人に暴力をふるうこと」「麻薬を使うこと」なども認めざるを得ない。
・人間は生まれながらにして善いものを目指すという考え方のみに立脚していて、人間観としてはバランスを欠いている。
・価値の明確化を重点的に進めていった結果、学校が荒れてしまった。
二つ目の限界点については、提唱者も、徳目的アプローチが必要であった。という言葉を残しています。
問題点もありますが、その育てようとした人間像や議論の手法は現代でも十分に通用するところがあるでしょう。
次回はモラルジレンマについて書きます。
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