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フォトグラフに写るのは真実か?/今日写講Vol.12

今日から使える写真講座。略して「今日写講」。今回は写真の歴史から「光画」を思い春の日を表現。そして写真という言葉を考察してみます。

福井の空模様は雨。それも強めの雨が降っている朝です。

夜の長かった日々から、陽のひかりがこれから少しずつ長くなってきます。

写真× 光画○

19世紀前半に上野俊之丞という人がダゲレオタイプカメラをオランダ人から購入、多くの人が研究した後に上野彦馬が1862年に写真館を長崎に開設し、プロのカメラマンとなる。なおその頃の写真術はコロディオンプロセスとなっていた。

そしてもう一人、横浜に下岡蓮杖がアメリカの写真家、ウンシンから撮影技術を教授され、1861年に写真館を開く。

と、1970年初版の「写真130年史」に記載されている。

そんな歴史を紐解きながら本を読み進めると、写真のもつ機械的リアリティ表現があった時期、その後修正技術を必要となった時期があり、ありのままを暴露されかねないリアリティ表現への恐れから「修正」が必要になった事などが書かれている。

そう考え、現代のデジタル技術においても、「真実を写す=写真」という言葉はフォトグラフという外国語が入ってきたときに間違って訳されたと考えるのが普通であり、そう書かれた書籍を以前読んだこともあるように思う。

では、真実を写さないのであれば、光で画く「光画」と言葉を捉えることができるし、現代のフォトグラフを見ていても、それが正しい訳のように思える。

「光画」で春分の日を表現

春の空気感。そして陽の昇っている時間が長くなっていく春分をデジタルカメラで捉え、画くとどうなるのか。

現像_R150004

こうなった。

(まだまだ冬っぽい福井の空。昨日の方が春ぽかったな、、、。)

主観で切り取る

今回の写真は修正はしていません。ただデジカメで撮影しただけです。画くとどうなるか?とか書きながら、シャッターを押しただけ。

じゃぁ「写真」だよね。

そんな声も聞こえそうですが、目の前に広がる風景、時間、光を僕の主観でライブビューのモニタで切り取っています。

モニタの外にも風景、時間、光が存在しています。

(あたりまえだけど、、、。)

じゃぁ、僕の中での主観で、僕の真実でしかなくて

見る人からは、僕が画いた光の画でしかないのです。

カメラは光を貯める道具

光の画と書いていますが、何故なのかと言われれば、カメラは光を貯める道具だからです。

そして、少し前の時代は貯めた光を保存するのが「フィルム」今は「センサーとコンピューター」

光を貯めるために、

光の通り道の広さを調整するのが「絞り」とか「F値

光が通っている時間を調整するのが「シャッタースピード」

光を貯めて、画く。なので光画

その光の貯まる量を調整するのは誰?

この事を理解すればするほど、フォトグラフには真実は写らないのかなと思ってしまいます。

真実は写らないと思ってしまう理由

光の貯まる量を調整するのは誰?と書きましたが、カメラの使い方を講座や書籍を通して学べば学ぶほど「適正露出」という言葉に悩まされます。

適正って誰にとっての適正やねん!!!

先ほどの光を貯める道具を使うときに、自分の適正を考えて光の量を調整する必要があります。

「自分の適正を考えて!?」

ってことは、自分の中の真実であって、カメラの向こう側にある、そのままの世界では無い可能性が極限まで高くなっているはず。

ということは「真実」ではないのでは、、。

そんな風に思ってしまい、写真という言葉を使うことに二の足を踏みそうになってしまいます。


人を介すれば介するほど、目の前に広がる世界は無数に存在する

この事を前提にすると、このご時世でSNSやメディアで画像や動画、言葉で表現されている事は、発信した人の「真実」でしかないことになります。

だからこそ、その前提にたって自分のなかの真実を見つけていく事が大切なのだと、気づかせてくれています。


フォトグラフは写真でいいのか?

僕の答えは「誰に」とっての真実を画こうとするかを明確することで、

「光画から写真」になると思っています。


カメラマンにとっての真実、カメラマンが感じている世界、見ている世界を画けば、作品としての写真になります。

メディアにとっての真実を画いても作品としての写真になります。

Dot.Graphという家族写真を撮るスタジオのオーナーをしている僕が心がけるのは「お客様家族にとっての真実」を残すということです。

だからこそ、撮影する短い時間であっても、カメラマンがお客様に寄り添いコミュニケーションをとりながら、楽しいと感じてもらえる空間を用意し、お客様が心置きなく撮影に臨め、というか写真を撮っているという緊張感ではなくてカメラを気にしないくらい家族の時間を楽しめるようにすることで、「お客様家族にとっての真実」を残して行けると信じています。


フォトグラフは写真です。

最後にまとめとして、フォトグラフは写真です。

それは、「誰か」にとっての真実を画き写すものだからの写真です。

客観的事実はとても少ないという前提を理解し「誰」の為の真実なのかを考えながら撮影したり、見たりすると写真を今以上に深く理解するきっかけになると思っています。

最後までご覧頂きありがとうございました。

<お店の情報>
福井市内にあるDot.Graphでは女性カメラマンが講師となった写真講座を開催しています。

このnoteの記事より、もっと詳しく写真を知って楽しみたいとお考えの方は福井市周辺の方に限られてしまうと思いますが、ぜひご参加ください。

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