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【集合的無意識とは】 劇団イキウメ 「奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話」

人が何かを想像することは、それが存在する可能性を示すことだと思う

つい最近、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」を読み直した。「メッセージ」という題名で映画化もされている作品だ。ポスターにどでかい「バカウケ」がデデンと載っていたSF作品と言ったら分かりやすいだろうか。

その中で、エイリアンたちは因果関係の無い時空間、すなわち、過去現在未来が同居している文字システムを使っている。

本作の小説家、黒澤も、「言語のすべての組み合わせを作ったら、そこには過去現在未来全てが記述される」という話を、若い頃の恋人とする。

全てのことは、もう起きていて、私たちがそれを知らないだけ

この「全てのこと」は、生者の世界だけとは限らない。死者の世界だって入るかも知れない。そして、その間に存在するかも知れない曖昧な世界のことも。

幽霊がもし存在するならば、それは生者の記憶を持つ死者だ。幽霊が生者と生きていくことができないなら、生きている方が幽霊の世界に行くしかない。幽霊であっても会いたい生者のエゴが幽霊をこの世に縛り付けているのなら、生者が死者の世界に行く方がいいのかも知れない。それを不幸だと決めつけるのは、それこそ生者のエゴに過ぎない。

または、幽霊が他の人の身体で生まれ変わってしまったら。他者の中に囚われてしまった「魂」や「思い」は、肉体という牢獄に押し込められた存在なのか。それを解放してやることなんて、できるのか。そもそもそれは、どちらの解放なのか。

想像とは知らないことを思い出すこと

「語る室」でもこんなセリフがある。ユングの集合的無意識で繋がっている我々は、その広大な意識のプールに足を浸して知らない記憶を蘇らせることができる。それを可能にするトリガーの1つが、想像力なのかも知れない。

だったらお前が話せよ

語り部がどんどん変わっていく中での順平さんの一言が好きだった。折りしも、お盆。

死者は私に何を語りかけてくるだろう。想像しながら眠ろう。

明日も良い日に。

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