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【「信じる」とは】 劇団四季 「ゴースト&レディ」

私が死んでも、誰かが歩くでしょう。私が信じたこの道を

幼い頃、うちにあった子供用伝記シリーズに「ナイチンゲール」の巻があった。

その中に、クリミアの野戦病院で、夜の見回りにきたナイチンゲールの影にキスをする傷病兵の挿絵があった。ちょっと藤田作品風の線が多いセピア色のその挿絵がずっと、心に残っていた。

そのナイチンゲールの「知られざる物語」

俺は自分の信じたいものを信じた

「裏切られる」ということは「信じた」ということ。グレイはずっと、人を信じたいという気持ちをどこかに持っていたのだと思う。人を信じなければ裏切られないのに、それでも尚、心から信じられる誰かの出現を信じて、ドルリーレーン劇場に残り続けた。

皮肉な物言いをしながらも、初めから何か「望み」のカケラのようなものを無意識に感じ、それがゆっくりと表面化していったのだと思う。意識の水面に決定的な泡が現れたのは、ランプを渡したところ。「取り憑いてんだよ」「そうでした」でフローは笑うけれど、グレイは何かに気づいたように、笑わなかった。

ずっと触れられなかったフローに、最後に触れられたことがどれだけグレイを温めたことだろう。「誰も1人では死なせない」為にグレイは戻ってきたし、そのグレイがこの先もずっと一人ぼっちであることにフローも薄々勘づいているけれど、それでも再会の約束をせずにはいられない。信じずにはいられない。

偉業を成す人の強さには、並々ならないものがある。スペクトラムを振り切っている人が一定数いる。その人に憧れ、どうにかついていこうと足掻いた後に諦める人は、きっとこれからも多く登場し続けることだろう。でも、そんな人も肯定的に描かれる。

自分の境遇を恨み他者を踏みつけてでも上に登ろうとした人の悲しみも垣間見える。ジョン・ホールやデオン様を見ていると、怒りの裏には悲しみがある、という一言を思い出す。誰よりも父親の期待に応えようとした挙句に、その努力が報われずに一人死んだデオンさまの「女はつまらん」の一言の情報量の多さよ。

「悲しみ」や「喪失」にどう対峙するかで、人生は大きく変わる。生きることには悲しみがつきものだ。その悲しみとどう相対しているかは、周りに伝播していく。

美しいラブストーリーの終わりを

緞帳の豊かな重厚感が圧巻。ドレープのラインや、角度によって色合いが微妙に変わる感じが、藤田作品の漫画から飛び出してきたようだった。

大半のシーンに存在し続けるアーチの柱が、照明によって質感を変えていく。クリミアに到着した際、奥から初登場するメンジーズボーイズの赤い明かりの濃厚なヴィラン感や、ジョン・ホール登場の影(化け物ではない方の影)など、照明によって新たな情報層が生まれる。

人は人に、そして人が生み出した物事に、こんなにも感動する。

誠実でありたい。自分にだけは嘘をつかないように生きていたい。どの劇場にも今もいるであろうグレイの目を、きちんと見られるように。

明日も良い日に。

他の劇団四季観劇記録はこちら。もっと見てるはずなんだけど、書いてないものもあることに気づいてしまったぜ… 



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いしまるゆき
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