422/1000 【エッセイ風】 連続noteをやったからこそ気づけた一番のこと
連続noteの意義について、先日聞かれた。
その時は、自分の書いたことを読み返すことで、忘れていた自分の感情の動向や機微に改めて気づけたこと、と答えた。
それもそうだが、他にもあるな、と後から考えて気づいた。
2020年、1年366日間毎日noteを書き続けた2021年の私が今一番思うこと。それは、
今日の自分の一番の伴奏者は、過去の自分である
ということだ。
例えば、今、私は1000日チャレンジをしている。続くかどうかなんて、その時になってみないと分からない。空から隕石が降ってきて、なぎ倒された建物の下敷きになったら、きっと連続は中断する。#そりゃそうだ
だから今出来ていても、それが今後も出来続けるとは限らない。
どうしても書くことが無いことも、書きたくない日もあると思う。その時には、その書きたくないを書けばいい。
そんなことも答えた。
それもその通りなのだ。
その上で。
例えば今日、私が書く気が起きなくてウダウダしていたとする。
その場合、昨年の今日は何をしていたかな?と思ったりする。
そんな時、昨年の私は、画面をタップする指先のすぐ先にスタンバイしてくれている。
読み返すと新たな発見があって、それをネタに何かが書けたりもする。
1年前の私はこんなことを思っていたんだ!(驚)と思うこともあれば、
私、なんでこんな文章をアップする勇気があったのだろう...orz
と凹むこともある。
いずれにしてもそこにいるのは、紛れもない、ほんの少し前の私なのだ。
こうやって、積み重ねのスパイラルは続いていく。
それを確認できただけでも毎日書いて良かったと思う。
だって、過去の私は、絶対に毎日そこにいるのだ。
今日の時点なら、その前のまだらにランダムに書いていた2年分、すなわち2人の自分が私を引っ張ってくれている。
すごいことだ。
だから。
未来の自分にエールを送りたい方へ。
毎日noteはとてもパワフルなツールです。
いつからでも始められます。
「今日は雪が降った」からの「家を出たくない」だけでも、何かしら感情は湧き出るものだ。
確かそんな日が1年くらい前にあったな... と思って翻ってみたら、やっぱりあった。
そして思い出した。この頃、本当に落ちてたんだ。先行きの不透明感に。
昨日までのポカポカからは打って変わって、今日は一気に冬。
控え室にいる段階から寒かったもの。外に出たら、さらに寒くなっていた。
今日はもう限界。
来年の私へ。今日の私はめっちゃ頑張ったよ。今日の私は今日の私をねぎらうけれど、来年の私も、今日の私をどうかねぎらってあげておくれよ。
よろしく頼んますね。
明日も良い日に。
#noteのつづけ方 #421日目 #伴奏者