【戦犯とは】 劇団チョコレートケーキ 「追憶のアリラン」
罪状は、支配の罪
太平洋戦争が終わり、朝鮮半島は、大日本帝国軍による支配から解放された。そこから、日本人支配者に対する報復が始まり、人民裁判へと繋がっていく。
支配者が「元支配者」になった時、その狭間にいる人々にも累が及ぶ。日本軍支配下で牢屋番を務めていた朝鮮人は、「支配していた」側の人間か。日本の朝鮮総督府で働いていた朝鮮人補佐官は、日本に味方をしていた者として、裁かれなければならないのか?
日本統治下で家族を殺された無辜の人々の恨みは、「目には目を」のハンムラビ法典の精神に則って、「元支配者」に手をかけることで晴らされていいものか。
「生き残った子孫」である私たちは、せめてそれを記憶に止め、省みることしかできない。だが、それを忘れてしまった頃に、また同じことが繰り返される。だから、省みることを続けなければならないのだ。
未来を構築することは、命あるものにしかできないのだから。
朝鮮半島の農民に学がないことに付け込んで土地を没収した日本軍。多少なりとも学があった為、土地を奪われずに済んだ朝鮮人農民には、あらぬ嫌疑をかけて投獄し、拷問の末に殺した日本軍。
それに反対していた日本人も僅かながらに存在した。だが、「自分」が直接手を下さずとも、「日本」がしたことは消えない。それを受け止めた上で、もう2度と同じ過ちは繰り返さないと誓うことしかできない。
犠牲となった側は、ハンムラビの無限ループから逃れ、自身の誇りを先に示すしかない。
そしてどちらも、お互いにそれを強制することはできない。
夫を日本軍に殺された恨みから逃れられなくて、「日本人を罰して欲しい」と泣く未亡人の方が、人民裁判で罰せられた日本人検察官よりも、辛そうだった。ハンムラビの法則では自分は救われないと無意識で分かっているのに、そのループから抜けられなくてもがき苦しんでいるように見えた。
良心はあるけれど、上に逆らえない人
良心はあり、上に抵抗するけれど、上の判断を覆すことはできない人
良心はあるけれど、自分を守ることで精一杯な人
良心はあるけれど、全てを良心でしか見られない人
良心が自分にしか向けられていない人
良心のある人に対し、どこまでも忠義を尽くす人
良心とは、色んな形で存在する。どれが良いとか、どれが悪いとか、そんなことを判断する権利は、私にはない。
でも、私の良心をどんな形に育むかを自分で決めることは、きっとできる。
ラスト、思わず声がでた。そんなラスト、あんまりだ。美しすぎて、涙腺が崩壊した。
みんなが移動させていく机や椅子が、少しずつ重なり合う運命のようだった。そして、朴さんはその階段を登っていった。
見てから何時間も経つのに、書いて、追想するだけで目頭が熱くなる。
見られて、よかった。
甘いのは名前だけの、劇団チョコレートケーキの舞台、前回はこちら。
今回はこちら。