「できる」は 「できない」の反対語ではないと言うけれど
「できる」は「できない」の延長線上にある言葉で、反対語ではありません。
よっぽどのことでない限り、大人になったわたしに「出来ない」ことはあまりない。あるのは「やりたくない」だけ。これは4ness コーピングでも何度も言われていることだ。
それに通じる表現である。
反対語ではない。
今出来ないは、この瞬間にできないだけだ。未来のことは一ミリも言っていない。
「できない」は句点ではない。読点なのだ。
...
...
…
昨日!
1ヶ月間!
どうしても出来なかった!
おうちの!
5G回線!
繋げましたーーーー!!!!!!!!号泣
10月いっぱいでなんとかする!と宣言した期限まで、1/3を残してできました!これは即ち夏休みの宿題に例えるならば、8/20に終わったってことでしょう?!
勢いづいて、少し気がかりだったけれど手を付けられていなかった様々な空き箱の片付けも終わりました。#単純すぎる
一度出来てみれば、出来なかった自分に戻ることはない。隠れている絵が見えない間はどこにあるのかさっぱり分からないのに、一度見えてしまえば見えなかった自分の目には戻らないのと似ています。
なぜもっと早くやろうと思わなかったのだろう、と過去の自分を責める声も聞こえてくるけれど、それは過去の自分に対する扱いが傲慢にすぎるというものです。
ひいて言えば、他者に対する傲慢さにも繋がるように思います。過去の自分が、自分に一番近い他者だとするなら、過去の自分のへまや過ちを責めるのではなく、労って次に進みたい。
それが、未来への花向けになるように思います。
他者にして欲しいように、自分を取り扱う。その練習をさせてくれるのが、過去の自分だとしたら、過去の自分はそこはかとなく自分を成長させてくれるありがたい存在であるように思います。
...あれ?
5G回線1人で繋げたぜhoo hoo おーいえ!マジ O・TO・NAジャーン
みたいな能天気エントリーで終わるはずだったのに、なんだか深イイ話しじみてきた。
ところで、今週はもう1つチャレンジがあるのです。それに向けての助走になりますように。
明日も良い日に。
アイキャッチは、諏訪大社の上社本宮!