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【本物とは】 劇団チョコレートケーキ 「白き山」
まず何よりも本物であることです
「師匠に求めるものは」という問いに対し、斎藤茂吉の弟子、山口茂吉はこう答える。
本物は、少ない。特に誰でも「クリエイター」になれる昨今、「本物」とは何かがよく分からなくなっている。
でも、本物に触れると分かるのだ。ああ、この人は、この作品は本物だ、と。
もしかしたら、何かが「本物」たり得るのは、本物であれという圧力に耐えうる能力の有無かも知れない。
本物風の人のめっきは、いずれ剥がれる。でも本物は、表面の輝きが鈍化したとて、その下から更なる輝きが生まれ出ずる。
本物で無い人は、「本物」であろうとして、潰れてしまう。
その中には、誰もが「自分」としては「本物」なのかも知れないのに、違う「本物」になろうとして、圧死してしまう人も一定数いるように思う。
「俺は斎藤茂吉なのだから」と、暮れなずむ山河の稜線に溶けていきながらも、再び歌を書き出す茂吉の姿を見ながらそんなことを思った。
本物でありたい。我でありたい。アーティストならずとも、そう思ったことのある人は少なく無いのではなかろうか。
人間性の善悪と芸術性は切り離すべきなのです
スキャンダルでバッシングされる才能ある方々を見るたびに、先日箱根でも見たピカソを思ってしまう。
もちろん、法に触れる行為は罰せられるべきだ。だが、そうではない、当人同士にしか分からないことに対し、周りがやいのやいのを言う時、それは才能に対する嫉妬では、と勘繰ってしまう。
これまで第二次世界大戦を含め、社会派でハードな題材を扱うことが多かった劇団チョコレートケーキの新作は、「書き筋が違って」いた。戦争を生き抜いた人たちの折り合いの付け方や、贖罪のあり方を探る様が静かに、でもユーモアも交えながら描かれていた。
みな、戦争で大切なものを失った。万歳三唱しながら息子を送り出した母。屍のような戦争詠を続けた歌人。軍医として無限の死を看取った息子たち。それでも皆、生き残ったから、生きていくのだ。白き山に時に癒され、時に励まされながら。
斎藤茂吉の息子さんが北杜夫さんってことも知らずに配信観劇した。斎藤茂吉についても、もっと調べてみよう。
冒頭にも書いたが、ラストの山の稜線が美しかった。自然は人を癒す。
明日も良い日に。
これまでの劇団チョコレートケーキさん作品感想は以下。
明日も良い日に。
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