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【妬心というモンスターとは】 劇団☆新感線「ミナト町純情オセロ」

嫉妬は、自分で生まれて自分で育つ、化け物でございます

新感線meets シェークスピア。今回は、オセローです。

通常の「オセロー」の舞台で一番印象的だったのは、10年以上前に上演された蜷川さん演出の吉田鋼太郎さんと蒼井優ちゃん夫妻の舞台でした。

歳の差具合がエグかった。叩き上げで上り詰めたオセローが晩年ようやく幸せを手に入れたら、確かに嫉妬に狂っちゃっても仕方ない。そんな説得力があったのです。*調べてみたら、16年前でした!びっくり。

そのオセローが、現代日本の任侠の世界に置き換えられる。どんな具合になるのだろうと思っていたら、1幕では、ジュリアという名のSM女王が登場したり(確かにジュリエットってツンデレ風味)、眠りが殺されたりと、シェークスピア味があちこちに散りばめられておりました。

あれ?オセローじゃないの?と思っていたら、2幕は完璧にオセローでした。

原作だと、オセローは親子ほどに離れている歳の差に引け目を感じていたけれど、こちらでは、任侠の男と裕福な家庭の娘という社会的学歴的格差が、引け目のとっかかりとなっている。

高齢のオセローは、嫉妬からの妄想にがんじがらめになって悶え苦しむけれど、若いオセローは、青臭い嫉妬とそこからくる束縛願望で苦しんでいた。妄想というより、脊髄反応で盲目になっていく感じ。歪んでしまった瞳には、全てが疑わしく映ってしまうようになる。

アイコ(イアーゴ)は、オセロの組の姐さん。上下関係がシェークスピアとは逆になる。みんなが慕う、頼りになるきっぷの良い姐さんの手の平で、皆、地獄に至るダンスを踊る。くるくるくる。

彼女の動機は、夫である組長をオセロがみすみす死なせたと勘違いしたこと。嫉妬ではなく、任侠の世界の掟なのだ。そこが、この世界に舞台を移したことの醍醐味でもある。

もな(デスデモーナ)の純真さは、シェークスピアのままだった。柳の歌を含めて。

舞台装置が美しく、海の方へと歩いていくアイコ姐さんの背中っぷりが最高。オセロってやっぱりイアーゴの物語だ。本作でもアイコ姐さんが全て持っていっておられた。

でも、何より凄いのは、どんな翻案にも耐えうるシェークスピアさんちのウィリアムさん。

人間って、何百年経っても、まじ本質は何も変わらないのなw

明日も良い日に。

今までの新感線noteの抜粋は以下!(いくつか見つからない…)



シェークスピアmeets 新感線シリーズ。


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いしまるゆき
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