【希望とは】 劇団おぼんろ 「パダラマ・ジュグラマ」
何もかもがうまくいかない世界がありました
環境汚染で自然は荒れ果て、食べる物も少なく、あらゆる生物が1日1日を生きるのに必死な世界。
食うか食われるかの中で、「食われる者」が、「食う者」になついてしまったら、どうなるか。
笑うって決めたんだ。
私たちは、決められる。人を信じることも、夢を信じることも。
夢が叶わないと知ることは苦しい。でも、叶わないと知ってしまったとしても、夢に向かって手を伸ばすことを、そう簡単に諦められたりはしない。
飛べないと分かっていても、羽根をバタつかせるお互いの姿を面白がりながら、また飛ぼうとして見せる。
希望とは、過程なのだ。最終地点ではなくて。
人にも鳥にもキツネにも、色々な事情があって、止むに止まれぬ理由から身勝手に思える行動を取ったりもする。
「食べる」という行為も、一歩引いて考えればその一環だ。
だって我々は、誰かが飼っているペットの豚さんを可愛いと思った日のお夕飯に、チャーシュー麺を食べられたりする。特に何も思わずに。
僕は、「僕」ではいたくなくて、「僕ら」でいたい。ラララのほんの三分の一でいい。「ラ」をください。
生きることは、一人では完結しない。それが例え、食う食われるの関係であったとしても。
夢を忘れた瞬間に夢は叶う
でも、忘れるためには、夢を見なければならないし、見た夢だって、叶う前に忘れてしまうこともある。だからその夢が叶うかどうかも、実は分からない。でも、どこかの誰かの夢として、それは間接的に叶っている、こともある。
それがきっと、希望になる。
おぼんろさんの世界観は、この世に満ち満ちたえげつなさをこれでもかと見せつける。それでも、観終わった後に思うのはいつも「なんて美しいんだろう」の一言。
理不尽な苦しみも悲しみも、どう足掻いても無くなりはしない。
それでもこの世は、きっときっと美しい。
そう思えてならない。
今日の千秋楽は、LIVE配信あり。アーカイブあり。気になった方、是非に。
noteに書いたおぼんろさん過去作エントリー抜粋。
末原さんの紡いだ一人芝居はこちら。
明日も良い日に。