岩代太郎氏のマスタークラス
岩代太郎氏のマスタークラスが、最高すぎて泣けた。
担当させていただくにあたり、改めて代表作とされる楽曲を聴き、なんて美しい調べだろう、と再度思った。そうと知らずに聞いていた作品も沢山あった。(「アルスラーン戦記」も「鋼の錬金術師」も岩代さんだった!!!!)この方は、一体どんな語り口で、どんなお話をされるのだろう、とドキワクで当日を迎えた。
結論:人の心を揺さぶるのは、やはり人の心だ。
例えば、「あゝ荒野」の中のある楽曲で使われている「チャンゴ」という韓国の打楽器について。
主人公の一人、バリカンが韓国人とのハーフであることから、韓国の打楽器を使うことにしたそうだ。また、「殺生を伴わなければならない楽器」であることにも、触れておられた。
太鼓等の打楽器は、牛などの命をいただかなければ生まれない。三味線等の弦楽器も同じだ。生命を頂かなければ生まれない音色には、シンセなどの人口的な音色では再現できない響きがある。だから、デモテープが作れない。この響きを使うことには意味があるのだ、と仮音源なしで相手を説得しなければならない、と。
人口的に再現できない、「殺生をしなければ生まれない響き」は、生活の周りに沢山存在する。調理の音など、全て殺生を伴う音だろう。想像が飛んで、身震いした。
そんなことを感じ入っている間に、話はどんどん進む。
「レッドクリフ」でのバトルシーンの楽曲制作については、こんなエピソードを披露してくれた。ジョン・ウー監督は
「このシーンに求めているのは、バトル楽曲ではなく、レクイエムなのだ。」とおっしゃったそうだ。
「レッドクリフ」の制作には、アジア諸国から様々な人間が参加している。それらの国は、数十年前までは戦争をしていた。だが、今、一つのチームとして、この作品を作っている。だから、共に作る作品には、その根底に鎮魂の意味を込めている、と。
監督の秘めた裏テーマが、音楽によって表現されている。言葉やセリフでは表出してこない部分を音楽が補っている。先日の谷川俊太郎さん賢作さん親子の、音楽と言葉の関係にも繋がる。
また、全ては、人から始まるということ。誰しもがアーティストになり得るということにも触れておられた。
鼻歌を歌う。スケッチをする。詩を書いてみる。
誰にでもできることだ。特別なことではない。それをいかに継続できるか、がプロとアマの違いだ。何もない日でも、仕事が来ない日でも、仕事にならないものでも、「好きだから」という一点で、続けられるか。
改めて、問われている気がした。
2時間半の軽妙且つ濃密な時間が、あっという間にすぎてしまった。
人と人の繋がりは、音楽であれ、言葉であれ、生命と生命のやりとりだ。
こんな機会を頂けたことに、心からの感謝を。