【仲間とは】 「いつぞやは」
一番親しい人とは、一番長く時間を共に過ごしている相手とは限らない。
いなくなってしまった後で、この人は自分にとって大切な人だったんだ、なんて思うことは、言い訳だ。決定的な理由もなく、疎遠になってしまった人に対する申し開きだ。
連絡をくれても返信し損ねて、そのままにしてしまっていることや、「忙しいだろうから返事はいいよ」と付け加えてくれる相手の優しさを、そのまま自分への言い訳に使ってしまったことに対しての、後ろめたさだ。
そんな関係には、好きとか嫌いとか、一言ではくくれない何かがある。人間の感情って、本当に厄介。
自分にも、そういう相手が何人もいる。いや、こっちが気にしているだけで、相手は私のことをもう「過去の人」の括りに入れて、忘れてしまっているかも知れない。それならそれでいい、と思い込もうとしている自分すらいる。
相手が亡くなってしまった場合のSNSのフォローを、外すか否か。そのフィードで、そのサイトで、相手はまだ生きているように見えるのに、外せたりするだろうか。
きちんとその死と向き合っていたら、できるのかも知れない。特段親しくもないけれど、親しくなくもない、という人が、一番対処しづらいのかもしれない。そして、人間関係の大半は、そういう「とても親しい」と「知り合い」の間にいる人たちで構成されている。
それでも、そういう人たちも、大切なのだ。人間って、本当に一筋縄ではいかない存在。
ラスト。涙を流すことではなく、書き留めてしまう松本の、作家という人種の、業のようなものも感じた。(時間経過はしているのだけれど。)橋本さんの湿度の低さが、そう思わせたのかも知れない。
そして、平原さん!!!!!!!!
この役を、窪田さんの代役として短期間で仕上げるなんて、超人か。
加藤拓也さんのお噂は予々聞いていたので、ずっと行きたいと思っていた。人間の関係の一筋縄ではいかない感じや、言葉の裏にある幾層もの感情が至る所に溢れていた。これからもフォローする。
明日も良い日に。
言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。