【呪いとは】 舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」
本編から19年後。原作の後書きから、物語は始まる。
子どもの頃は、歳をとれば、自然に「大人」になれると思っていた。だが今の私は、子どもの頃に思い描いていた大人にはなれていない。今もなお、悩みは尽きない。
ハリーもハーマイオニーもロンも大人になったが、其々に悩みを抱えている。
親子だって、分かり合えないこともある。でも、お互いに誠実であること。リスペクトし合うこと。そういうシンプルなところに、きっと答えはある。
人間関係とは、嘘をつかない、ということではない。嘘には、白い嘘もある。扱いに気を払わねばならないのは、むしろ真実の方だ。真実の方が、暴力をはらむことだってある。
完璧とは、人間の世界にはなかなか存在しない。魔法を使っても、完璧は得難い。
完璧があるとしたら、人間以外の自然界の中だけだ。人間は、完璧でないことで人間たり得る。そして、それをベースとした上で、周りと共にどう折り合いをつけ、不完全なお互いをどう受け入れていくか、が人生なのだと思う。
友人とは、そんな不完全な世界を照らす光であり、友人関係とは、その光でお互いの闇を包むことなのだと思う。
ハリーは、「父親」を知らない、父親のお手本がいない自分が「良い父親」になれるのか、と悩む。
アルバスは、「生き延びた子」というヒーローを父に持ったことを悩む。
スコーピウスは、マルフォイ家の後継であること、ヴォルデモートの息子だと噂されていることを悩む。
みんな、自分自身にかけた言霊によって、自分に呪いをかけている。
表題の「呪いの子」とは、彼ら全てのことであり、観ている我々全員のことだ。
そして、その呪いは、自分で解けることも、示唆してくれている。
英語版を観劇したのは、2019年のロンドンだった。
その時も今も、今実現できる、あらゆる「マジック」の全てが、この舞台には盛り込まれている。そのことへの感動は変わらない。何度見ても、何がどうなっているのだろう、と一々発見がある。
特に、時空移動をした時の、「時空の歪み」は毎回フォぉぉぉとなるし、作中に2度ある、劇場全体を使った照明効果も感動する。
そういった素晴らしい演出に加えて、極めて普遍的なテーマを扱っているからこそ、3時間50分という長丁場があっという間に感じられるのだと思う。
ラストに近いところで、「ドドン」という一発目の攻撃の音がする度に、身体が大きくビクっとしてしまう。
それくらい、この世界に入り込んでしまっていた。
親子関係や真実について、「呪い」について、はロンドン観劇の時よりも、今の方が腑に落ちた。私自身が大人になったということかな。
体感し、追体験する公演。
明日も良い日に。