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【善良とは】 舞台「みんな我が子」

買った車に乗るたびに、それが血塗れであることを思わずにはいられないんだ

クリス

ある「兵器」を作る工場を経営していた街の名士ジョー。隣人たちとの関係も良好で、みな、入れ替わり立ち替わり、一家と雑談をしにくる。

だが実は、その工場は戦争の最中、とある罪を犯していた。その罪によって、21名の兵士が死んだ。

ジョーは裁判で無罪を勝ち取り、同じ工場の共同経営者だった友人スティーブが一身に罪を負うこととなる。スティーブは、は未だ留置場の中にいる。

ジョーの息子ケビンは、共に戦地で戦い、死んでいった仲間のことを思わずにはいられない。彼らは彼らの責任を全うして、死んだ。

では、自分はどうだ?

父の工場で得ている金は、兵器の売買で得たものだ。血塗れの金を使って、自分はのうのうと生を謳歌して良いのか?

スティーブの娘、アンは、ケビンの弟のフィアンセだった。だが、ケビンの弟は終戦から3年経った今も、行方知れずだ。ケビンの母以外は皆、彼の生還を諦めている。アンも例外ではない。

そしてアンは、彼女をずっと愛してくれていたケビンの思いを受け止め、彼との未来に進もうとしている。

戦争のことを忘れ、みな、新たな次代の中で「善良な市民」でありたい、と思っている。

だが、その善良とは、誰に対しての「善良」か?白の構成要素には、黒も含まれているのだ。だとしたら、黒の度合いがどの程度までなら、白は白でいられるのか?

「灰色」と「白」の境界線はどこにある?いつからうっすらとした灰色を白だと自分に言い聞かせ始めた?いつまでなら、「白」を「灰色」と主張する相手を否定せずにいられる?

仕方ない、と目をつぶって一つ誤魔化すと、そこからは雪だるま式に誤魔化しは続く。

そのうち、誤魔化しが「真実」になる。

でも周りは気づいてる。あの人は本当は有罪クロだと。だが表だってそうは言わない。自分は、少なくとも自分だけは、優しい人でありたいから善良な隣人でありたいから。

こうして「善良」は呪いとなる。

病む病むと言う人ほど、長生きする。

お前という息子のためにしたことなんだ、とジョーは言う。だが、死んだ兵士たちだって、みんな誰かの「我が子」だったのだ。

場面転換なし、暗転も1回のみ。ジョーの自宅の裏庭という狭い空間でのたった1日の出来事が、会話のみで展開される。

上記のような複雑な人間関係も、全て会話の端端から明らかになっていく。

途中1週間ほどの休演を経て、再開二日後に観劇。だからだろうか、演者の皆さんの気迫がビリビリと感じられた。

すごいものを見た。

明日も良い日に。

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いしまるゆき
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