【無自覚の差別とは】 劇団チョコレートケーキ 「ブラウン管より愛をこめて ー宇宙人と異邦人ー」
戦争ものを描くことが多い印象の劇団チョコレートケーキさんだけれど、今回は90年代のバブル期が舞台。あら珍しいと思って楽しみにしておりました。
しかもそれが、特撮テレビドラマの制作現場が舞台ときたら、ウルトラマンに浅からぬご縁がある身としては、期待がますます高まります。
こんなふわっとした期待は、劇チョコさんならではの問題提示を経て、ずしんと心にのしかかる内省に繋がりました。
無意識の差別ほど、厄介なものはありません。「そんなつもりは無かった」では済まされないほど、人は時に人を無邪気に傷つける。
それでも気づくことから、少しずつ社会は、そしてその各論でもある自分の身の回りの物事は変わっていく。そう信じたい。
「かえってきたウルトラマン」の中のエピソード「怪獣使いと少年」が、かなりそのままモチーフとして提示されていた。円谷プロさんの作品には、社会への問題提議が多々あって、私はとても好きだ。
怪獣であれ、宇宙人であれ、異形のものであれ、理解できないもの、自分とは違うもの、ということだけで排除しようとするバグが、人間のDNAには組み込まれているように思う。
気づけた人の中でも、それを克服しようとする人、見て見ぬふりをしようとする人等、反応はバラバラだ。
いずれの反応でも、根底にあるのは「分からない存在」に対する理屈のない恐怖だ。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とはよく言ったもので、分からないから恐れるけれど、実は相手は、自分に害をなすつもりは一切ないことも多々ある。
同調圧力、上層部からの圧力、予算による圧力、スポンサーからの圧力。それらに抗うことは、勇気がいる。圧力に屈している方が、安定した楽な人生を送れることもある。でも、「楽」を選んで作ったものは、「楽しい」のか。誇れるものを作れるのか。
私は、どこかで諦めてはいないか。自分の声を上げることを。
これを見た数日後に、りゅうちぇるさんが亡くなった。
自分とは異なる価値観のある人を、「あなたはそうなんだね」とそのまま丸っと受け入れられる社会は、いつできるのだろうか。いつかできるのだろうか。
子どもは、聡い。子どもは、我々の価値観の鏡だ。そして子どもの感性を、大人は時に、過小評価する。子ども番組は、我々がどれだけ社会を信じているのかの合わせ鏡のような存在なのかも知れない。
今の子どもに対して、真摯に向き合える作品にも、今後携わっていけますように。
noteでの劇団チョコレートケーキその他の作品の感想は、以下。本作は、配信もあるらしい。是非に。