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コードネーム「読書家」という殺し屋について書き残しておくこと #シロクマ文芸部

「読む時間をあげます。一冊の本を選んでください。その間だけは殺すのを待ちますので」と男は言った。拳銃を構えながら、無地の白いトートバックを私の元に投げて寄越した。
 中には四冊の本が入っていた。

「旅のラゴス」筒井康隆
「CF」吉村萬壱
「タイタス・アンドロニカス」シェイクスピア
「鯖」赤松利市

「どういう基準で選ばれた本なんだ?」と男に尋ねた。殺し屋というのはもっと黒スーツにサングラス、筋骨隆々な人間を想像していたが、彼はユニクロ風味のファッションに身を固めた、図書館で大人しく読書にふける好青年、という姿かたちをしていた。
「家にあった本を適当に入れてきました。もちろん私は既に読了済みです。もしあなたが自分の蔵書から一冊を選びたいのなら、それでも構いませんよ。ただしあまりに分厚い本はなしです」
 身体一つで引っ越しを繰り返してきた私の部屋に、本は一冊も転がっていなかった。

「君は殺す相手にいつもこのような選択を迫っているのか?」
「業界内では『読書家』と呼ばれています」
「本を読むスピードなんて人によって違うだろう。平均なら一冊三~四時間ってとこか? 普段本を読まない人、じっくり読む人なら、何日もかかることもあるだろう」
「内容にもよりますしね。ややこしい言い回しばかりの本だとか、どうしても読み進めたくない展開だとか。だからすぐに殺す必要がある相手の場合、私に依頼は来ません。ゆっくりでもいいから確実に殺して欲しい相手、急ぎではない相手の場合、私に仕事が回ってきます」
「何でそんなやり方を始めたんだい」
「業界内で名前を売ろうとするなら、何かしら特徴が必要になるのですよ。ただ撃って、ただ刺して、ただ殺して、では誰であっても構わないでしょう。丁寧で確実に、そして特徴がある、それが継続的な依頼を受ける殺し屋に必要なスキルです」
「雀士みたいなものか」
「麻雀ですか?」
「『捨て牌の並べ方が丁寧な池上』とか『小三元をあがったことのある吉本さん』とかそういうやつだ」
 私の言葉に殺し屋は「何言ってるんだこいつ」という顔をする。私を見る者が見せる、見慣れた表情だ。殺し屋といっても人である。人であるからには、動揺も失敗もする。なんとか隙を作らせて逃げ出さないと。

「とりあえず、シェイクスピアはやめておこう」と私は言った。「この中では一番薄い。どんな話なんだ?」
「現代なら完全にアウトな内容ですね。凌辱された姫が口封じのために舌と腕を切り取られます」
「何故そんな一冊を選ぶ」
「私の部屋にはいろんな本が転がっているんです」
「君はあれか。殺し屋兼出版社からの回し者で、『これから殺されようとする人間が選んだお勧め小説100選』とかそういう企画のデータ集めに協力しているのか」
「そんな出版社は潰れてしまうべきでしょう。理由の一つは私の趣味。これまで殺した人たちの選んだ本、反応を記録しています。世の中に大っぴらに出るものではないですが、会員企画の限定されたサークルの中では需要があったりするんですよ。少しばかりですが副業としての収入源にもなっています」
「『特徴持ちの殺し屋サークル』ってとこか」
「殺し屋に限りません」

「『旅のラゴス』にするよ」
「理由はありますか」
「実は読んだことがある。不思議な土地に行ったり、超能力を身に着けたり、SF的なのに現実的でもある。中学時代と、大人になってからも読んだ」
「『CF』『鯖』もお勧めですが」
「殺されなかった時に読むよ」
「残念ながら無理な相談です」
「君は、殺し屋じゃないだろ」
 男は怪訝な顔をする。構えた拳銃はプロらしく、一ミリも動く気配がない。人を殺したことがあるのも事実だろう。
「第一私には殺される理由が思い当たらない」
 今度は男は目を見開いた。こめかみに指を当て、ため息までつく。
「結婚詐欺、横領、慰謝料未払い、もう一度結婚詐欺、その他にもあなたを恨む人だらけですよ。私への依頼も、複数の被害者から合同で来ています。あなたは人の心がないとか、よく言われてませんか? この家だって」と男は私の住む部屋を見渡す。
「一人暮らしには不相応な郊外の一軒家を、資産家の娘にあてがわれている。どれだけ女性を騙し続けるんですか」
「皆同じ冗談を私に向けて言うね。私はその場の流れの中で生きてきただけだ。結果的に結婚予定の相手から多額のお金を受け取ってから去ったことも何度かあるが、誰かを憎んでやったことではない。殴ったなら殴られても仕方がないが、誰も憎まず、誰も殴らず、誰も振り返らずに来たから、誰にも憎まれず、殴られず、復讐されるようなこともないはずだ」
「自分の理屈が他人に通ると思わないでください」

「個性のある殺し方で通り名があった方が仕事が増える、だなんて浅はかな考えだ。個性的な殺し屋は伊坂幸太郎の小説の中にならたくさんいるが、現実にはそんなことはない。食い詰めて生活のために倫理観を頭から吹き飛ばした連中に、それなりの金を渡せば引き受けて貰える。つまり、『読書家』という殺し屋が存在出来るような余裕は、この国にはもうないはずだ」
「あなたが何を言おうが、私は殺し屋として仕事をしてきた。これまでにも多数のターゲットの前に本を投げ出し、選ばせてきた」
「そして君は、どんな本を選ぶか、人生の最後にどのような本の読み方をするか、どのタイミングで撃つか、を記録してきた」
「だから、殺し屋だ」
「違うな。君は殺し屋を本職とは思っていない。君のなりたい者、やりたい事は別にある。殺し屋はそれまでの仮の収入を得る手段に過ぎない。いつまでも副業感覚で、本業は、本を書きたいと思っているのだろう。それも人間の本質を描きとるような、まだこの世のどこにもないような、深淵を覗く物語を」
「買いかぶりですよ。僕に文才はありません」
「文才なんて言葉は都市伝説に過ぎない。作品に対する評価は時代とともに変わる。君がいつか書こうとしている物語は、残念ながら、死に瀕する人間がヒントを与えてくれたりなんてして作れるものじゃあ、ない」
「あなたの言ってることは憶測に過ぎない。いいから本を読んでください。それ以上戯言を続けるのなら、強制的に『タイタス・アンドロニカス』に変更させてもらいますよ」
「それは勘弁して欲しい。『旅のラゴス』を読もう」

 久しぶりに手に取った紙の本からは、中学時代に長く過ごした図書室の匂いがした。ゆっくり読んで、殺し屋の隙を伺うつもりが、ページをめくる手が止まらなくなってしまった。ラゴスは次々に旅程を進めていく。二時間もかからず読み終えてしまった。
「解説は読まなくて結構です」
 生涯最後の読書にしては性急な私を押し止めるように、男は言った。
「どうでしたか。率直な感想をお願いします」
「実は私は読んだ本の感想をすぐに話すタイプではないんだ。数週間後とか、遅ければ数年後に、『あ、あの本のあの箇所は、こういう時に響いてくるんだな』と気づいたりする。速効性の薬は効かないタイプなんだ」
「だから人の言うことも聞いてないんですか」
「何年も経ってから、『ひょっとしてあれはプロポーズだったのか』と気付いたこともある」
「だから訴えられるんですよ」
「そうそう、この小説、誤植が五箇所もあったよ」
「え、そんなはず」

 一瞬の隙をついて私は殺し屋の拳銃を持つ手を蹴り上げ、逆に銃をこちらの手に取り、形勢逆転「殺し屋稼業を極めたいなら本を書くことなんて忘れておくべきだったな」という決め台詞を放った。つもりだったが、実際は少し身体を動かしただけで腹を蹴られて、悶絶して床に情けなく転がった。
「その文庫本は何十刷も版を重ねています。そんな下手な嘘でよく何人もの女性を騙せましたね」
「だから騙した覚えはないんだって」
「もういいです。今回は『ターゲットはあまりの恐怖に本の感想を言えなかった』としておきます。これまでもなかったわけじゃない」
 そう言って殺し屋が改めて私に銃を構えた瞬間、ビスビスビスビスと、クッションに包丁を刺すような音が響いたと思うと、壁に無数の穴が空いていた。あれだ、サイレンサー付きのマシンガンってやつだ。殺し屋「読書家」は私に向けて銃を撃つ前に、上半身を失っていた。倒れた下半身は驚きすぎて生命を失ったことに気づいていないように、足を少しバタつかせてから、大量の血を吹き出した。

「もう死んでるだろうけど、念のためおじゃましまーす」
 壊れた玄関から顔を出したのは、近頃懇意にしていた娘だが、彼女には幾つか強烈な個性があった。資産家の親が実はヤクザであること、直情径行であること、私は違う女性と懇意になってしまったこと。「ぶっ殺す」という彼女の言葉を、私が全然本気にしていなかったこと。人の住居に平気でマシンガンを撃ち込む個性は予測していなかったこと、などなど。
「生きてるじゃん。その下半身誰の?」
 罪なき他人を巻き込んでも一向に気にしている様子がない。最も「読書家」の言葉が全て本当なら、彼は立派な罪人であったが。人でなしというのは彼女のような人のことをいうのであり、決して私のような無実の一般市民を形容するものではない。
「殺し屋だった人」
「女?」
「男だよ!」
「いや、あんたのことだから男とだって……」
「そんな趣味はない」どういうイメージを持たれているんだ。

「そうだ、君は本を読むんだっけ」
 銃撃被害を受けずに残っている本は残念ながら一冊しか残っていなかった。
「『タイタス・アンドロニカス』? 何これどんな話?」
「素敵な恋愛物だよ。そうだこれを二人で読んでやり直さないか」
「私本読むの苦手だから、あんた朗読してよ」
「朗読したら、助けてくれる?」
「いや、撃つよ? ちなみに警察はこないからね」
 いざこういう時のために備えて、郊外の平屋の一軒家なんていう物件を私に与えてくれていたのか、と気がつく。現実から逃げるための思考が、殺し屋「読書家」の正体に向いていく。「なるべく長く苦しむような痛みを与えてくれ」という依頼を、彼はその通りに実行できなかった。代わりに本とそれなりの時間を与え、ターゲットが本に夢中になっている際に背後から撃つ、とか、そんな理由で始めたことかもしれない。私の予想を確かめる術はもうないわけだから、彼のことを何かに書き留めておくくらいはしておこうか。この窮地を生き延びたら。
 今はそれより、目の前にいる物騒な女の相手だ。これから「タイタス・アンドロニカス」を素敵な恋物語に変換していかなければならない。人生を流されるがまま、流れるがままに過ごしてきたらこんなことになってしまった。カチャ、カチャ、とおもちゃの銃を弄ぶように、彼女はサブマシンガンに触れる。そのたびに天井に穴が増える。

 翌月、娘の親の支配するその地域の本屋では「最高の恋愛小説」として「タイタス・アンドロニカス」フェアが開催されるという怪現象が起きていた。

 という妄想を一発かましてから、私は「ある朝タイタスが食パンを咥えて走っていると……」と語り始めた。銃口が天井ではなく私の方に向けられる。近い。銃口が近すぎる。
「ひょっとして、どんな話か知ってる?」
 こくん、とうなずく彼女の仕草はとても可愛くて。

(了)

シロクマ文芸部「読む時間」に参加しました。

伊坂幸太郎「グラスホッパー」「マリアビートル」を読んだ後に書きました。もろに影響を受けて、普段書いている物とは雰囲気が違うかもしれません。


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泥辺五郎
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