原民喜「廃墟から」感想 原爆投下直後の広島の日常 #シロクマ文芸部
平和とは何かと考えたが、戦争が起こっていない状態とはいえ、今のこの国の日々が平和とは言えないのではないかと思い、結論など出るはずもなかった。代わりに、たまたま最近読んだ作品に原爆投下直後の風景が描かれていたので、その感想を記しておく。
原民喜「廃墟から」を読んだ。
青空文庫版
原民喜は1905年生まれの詩人・小説家。
1945年、郷里の広島へ疎開中に被爆。爆心地から1.2kmの距離であった。
崩れ落ちた廃墟となった実家を始めとした、原爆投下直後の広島の光景が描写されている。身近な人々の死、その後も続々と増えていく死者の数。つい先日までは元気だった人の突然の訃報など、当時はまだ解明されていなかった放射能による被害が、書き並べられていく。原民喜自身も体調不良を訴えている。
原の妹が電車の中で知り合いと遭遇したエピソードがある。「顔のくちゃくちゃに腫れ上がった黒焦の男」が車掌に何か話しかけていた。聞き覚えのある声だと思うと、向こうでも妹の顔を認めたという。被爆による大火傷で人相が変わってしまっても、声は変わらなかったのだ。
「外郭だけ残っている駅」についての描写を抜き出してみる。
槇氏という、開業医をしていた知り合いの話がある。上海から復員してきた彼は、日本に帰り着くと、家は焼かれ、妻子は行方不明になっていた。原爆投下から四ヶ月経っており、連絡もないのなら、妻子はもう助かっていないのだろうが、それでも諦めきれずに、身を寄せている妹の家から、広島へと度々出かけていく。そこで多くの人から声をかけられる。顔をじろじろと眺められる。「あなたは山田さんですか?」などと人違いをされる。最初、槇氏は開業医時代の患者か何かだろうと思っていたが、そうではなかった。当時の広島では、突然の死により消えていった命が多すぎた。一瞬で蒸発した人もいれば、とても誰だか判別出来ない死体もあった。肉親の死を諦め切れない人々がいた。彼らは行方知れずの誰彼の面影を求めて、少しでも似た雰囲気の人がいれば、じろじろと眺めずにはいられなかったのだ。
こうして文章は締められる。
私は「廃墟から」に出てくる、誰かの面影を探し歩く人たちのことを読み、ある共感を得た。人はそれぞれ数多くの特徴を持っている。それらの特徴を別の人も持つことがある。その人がいるはずのない場所で、その人の面影を見ることがある。
私の以前勤めていた会社は、多数の従業員を抱えていた。毎日百人以上の従業員と顔を合わせる日々であった。関わりのある人、あまりない人も含め、様々な個性の持ち主の姿かたちを見ていた。転職して人数の少ない今の職場になってから、「この人は前の職場の誰それに似ている」「声がそっくり」といった印象を抱くことがある。マスクを外す人が増えたせいか、自転車通勤中に出会う、名前の知らない顔見知りの人々からも、「懐かしいあの人」やら「ろくに話した覚えのない同級生」の顔やらが、記憶の底から引っ張り出されることがある。風体、後ろ姿、声、ふとした表情。誰もが誰かの面影を宿している。
自分にとっては「今の人の後ろ姿、前の職場の誰それに似ていたな」で済む話である。原爆投下後、多くの行方不明者を探す人々にとっては「今の人、ひょっとして弟じゃないだろうか」「この声、妻の声では」「あの歩き方、娘にそっくり!」多くの場合別人であった出会いが、そこかしこに散見されたことであろう。誰かの一部は他の誰かの一部に似ている。残酷な面影を追いかけた末の人違いが、行方不明者の数だけ生まれたことだろう。
原の作家活動は1951年で途絶えている。深酒して線路に横たわり、自らの命を絶ったためである。多くの遺書を知己に残しているので、発作的な自殺ではない。被爆の一年前に妻を亡くした原にとって、以後書いた文章は、全て遺書のようなものだったとも書いている。
(了)
執筆中BGM(歌詞に「ヒロシマ」が出てくるので)
Rage Against The Machine - Sleep Now in the Fire (Official HD Video)
MV監督はマイケル・ムーア。ニューヨーク証券取引所前でのゲリラ・ライブから逮捕までの映像。
訳詞サイト
シロクマ文芸部参加作