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「名無しさ」2ちゃんねるロビーにおける即興小説家としての思い出
入院17日目。遺言ごっこの続き(退院のめどはついてます)。
前回は「楢山孝介」時代の話。2007〜2009年頃。
今回は1999〜2000年頃の話。
高校卒業時にPCを買い与えられた私は、先んじてインターネット利用を開始していた友人の手ほどきを受け、「テレホーダイ」に加入。深夜のインターネットの住人となった。
2ちゃんねる黎明期と重なる。いわゆる「匿名掲示板」では先行して「あめぞう」があり、そこでは覗いているだけだった。私は次第に夜中に「ロビー」という雑談系の板に書き込むようになる。殺伐とした、攻撃的な、無責任な、そういった書き込みもあるのは確かだったが、性格的に私はそのような書き込みとは距離を置いていた。あれこれどうでもいいような雑談にふけった。
テレホタイムである23時以降のネット参加であったが、それ以前の時間帯では、その後コラムニスト「深爪」氏となる、「電撃少女」氏の立てたスレッドが伸びていたりした。
混沌とした賑わいを見せる掲示板において、文字が、言葉が、文章だけが、その人を際立たせていたともいえる。動画文化が発達するのはまだ先の話である。
HN欄を空白のままで書き込むと、名前は「名無しさん」と表示された。
ある時私は何かのスレッドにおいて、少し長めの、全くフィクションの書き込みをしようとした。その時、他の名無しさんと区別するために、一文字削って「名無しさ」とした。
その後、自らスレッドを立てて、即興小説を書いていくようになる。HN「名無しさ」、メールアドレスを打ち込む欄には「垂れ流し」と記した。夜中、1〜2時間程度で、長文書き込み4つとか5つ分ぐらいの分量で、思いつくまま書いていった。あまり長い物は書かなかった。
起床と同時に家族が朝飯を求めて殺し合い、最後は彼らの履いていたナイキのスニーカーにズームアップして終わる、CM落ちの「ザ・朝飯」。タイピングが早すぎて執筆の最中に家が燃えてしまう即興小説家の話「炎上キーボード」。色川武大「怪しい来客簿」を読んだ直後に書いた、色川風の作品に対して、すぐに影響を指摘されたりもした。
当時「艦載陣」という方が、「名無しさ作品集」というのをHPにまとめてくれたりした。
作品を書き、即座に反応を受ける、ということに、良くも悪くも慣れてしまった。
「この書き方に慣れてしまうと長編が書けなくなってしまう」と思い、ロビーでの活動休止。個人HPを立ち上げてそこで連載を開始しようとする。しかし迷走して消滅。
「名無しさ」引退後しばらくして、「村野」という名前で、本や音楽の話を「ロビー」でしていた。時折単発の掌編小説っぽいスレッドを立てることもあったが、名前はつけなかった。
やがて真夜中の雑談所という形で利用していたその場所も荒れ始めたので、離れていく。そんな折、久しぶりに立ち寄ったロビーで目にした「キリンは首がもげたら死ぬという」という書き込みにインスピレーションを受け、「童話『首がもげたキリン』」というスレッドを衝動的に立てる。名前は名乗らず。この時に単発ではなく「(続く)」となんとなく書き込んだ。
(続く?)
次回、童話「首がもげたキリン」
この間書いた↓の記事が「深爪(電撃少女)さんみたいな文体だなあ……」と思ったので、昔話を書きました。
上述「炎上キーボード」をリメイクしたもの。
現状まとめ。
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