色川武大「百」(再読本)
マガジン「再読本」に入れたラインナップを眺めてみる。
ブコウスキー、日野啓三、大江健三郎、筒井康隆、森内俊雄。
今の自分を形作ってきた作家達の名前が並ぶ。色川武大もそこに付け加える。
昔読んだ時には感じなかったこととして、作者の顔がはっきりと浮かぶことだ。顔の真横で至近距離で語られているように感じる。ギョロリとした目玉を剥き出して、色川武大があの顔で迫ってくる。恐ろしくはあるが、昔よりずっと身近に感じられる。
幼い頃から作者にとって父親は年老いた存在だった。父が年取ってから出来た子どもだったので、幼い視線で「この人はもうすぐいなくなる存在だ」という風に思いながら育ってきた。現実には、作者が中年になっても父親は九十を超えて生き永らえている。他者を寄せ付けない独特な生き方を貫いて。
『連笑』では弟との幼い日々を思い出しながら、現在の弟に会いに行く。地元の競輪場で絡まれて殴られる。私はブコウスキーと色川武大を並行して読んでいた気がする。当然のごとく、私はろくな大人にはなっていない。
戦争が終って、私が博打の世界に深入りしたとき、私は小説を書こうと思ったし、また口に出してそういうこともいっていた。それは猫が走るとき尾を立てるようなもので、博打で討死しないために何かが必要だったのだ。中学も卒業せずに放棄し、まっとうな道で皆と競争するのはもう駄目だと思っていたから、何か個人プレイのようなもので生きしのいでいくほかはない。そのくせ、文学に本格的に興味を持っていたわけではなかった。絵も下手、声も駄目、顔もまずい、体力や腕力があるわけでもない。いきおい字の世界が残る。(『連笑』より)
『ぼくの猿 ぼくの猫』は、幼い頃から見え続けていた幻覚の話。
父親はあいかわらずぼくに干渉して、予習復習の教師になる。ぼくはいつもぼんやりしていて馬鞭で殴られる。そうしてクロのように三十センチも飛びあがる。部屋で勉強机に向かっているときは、父親がふすまを開け放して居場所から監視の眼を向けてくる。
でも、ぼくは足指を子鰐に嚙まれている。ぼくが一番怖れている動物は蛇だが、蛇はぼくの幻影にはあまり出てこない。子鰐の歯は固くて、こっきりと指をねじるように嚙む。けれども敵意はあまり感じられなくて、どこかぼくに笑いかけてくるような気配がある。
(『ぼくの猿 ぼくの猫』より)
川端康成文学賞である表題作『百』のラストでは、作者が『ぼくの猿 ぼくの猫』で書いたような幻覚の世界を、百歳も見えてきた父親が、自然と見るようになる。
それにしても幼い頃から老人として見ていた父親が、自身が五十になってもまだ老人として在るという現実には空恐ろしいものがある。
私は幼ない頃遊んだ路上にしゃがんで煙草に火をつけた。何十年かして、私も夜も昼もけじめのつかない、夜昼ばかりでなく自分の主体というものにもけじめを失なったまま、浮遊するように生きている。五十年の間、あれこれやってきたことは、たた伸びひろがって拡散していくばかりで、少しもまとまりがつかない。おそらく父親も似たようなものだろう。八十年も九十年も生きても、まだ途中だというだけで、なんのまとまりもつかない日々なのだろう。
(『百』より)
『永日』では、とうとう自宅ではとても見ていられない状態になった父親を、母の一存でたまたま空いていた精神病院に入れたところ、取り返しのつかないところまで老耄が進んでしまった父親の姿が書かれる。痛々しいその姿を見て自宅に連れ帰る決心をする作家は、しかし父親にとって一番傷つくようなタイミングで逃げ帰ってしまった。思えば物心ついた頃から彼はずっと、その日を思い描いていたのかもしれない。
再読本に選んでいる著者は故人が多く、存命であってもかなりの高齢であり、SNSなどはしている様子がない。つい先日、現役の時代小説作家である天野純希先生、伊東潤先生からは、自分の書いた感想に対する直接の反応が貰えた。故人の本を読むというのは、そういった喜びには出会えないことが、悲しいことに保証されてしまっている。故人の著作に触れることは、現在から取り残されることかもしれない。
書かなければいいことを書いてしまったから、夢の中で色川武大やブコウスキーに直接的な反応を貰ってしまうかもしれない。無頼に見える人達ながら、丁寧な言葉で。