長嶋有「今も未来も変わらない」
連載中の作品のラストがコロナによって決定した、というのが中村文則「カード師」だった。作中の重要人物は、死ぬことが決められていたが、死因は決まっていなかった。そこにコロナが追いついてきた。
「今も昔も変わらない」でも、終盤に少しだがコロナのことが触れられている。作品の大勢に影響はない範囲だが、と思って気が付いた。コロナの始まるほんの少し前に書かれたこの話では、気軽にカラオケ屋に行けて、居酒屋に行けて、電車の中ではマスクなしで話している。ほんの数年前の出来事が、今ではファンタジーに見えてしまう。作中にコロナが追いついたことにより、その後の深刻なコロナ禍を知る私達には、よりファンタジー要素が強くなってしまう。そこにあり得たかもしれない現実を切り取ったかのような一場面も、今では気軽には作り出せないシチュエーションになってしまったのだ。
2019年4月から2020年4月まで「婦人公論」に連載されていた。新型コロナウィルスが問題になったのは2019年12月のことだ。連載中は「歌を友に/レジャーをともに」だったという。皮肉なことに、共に気軽に出来ることではなくなってしまった。
長嶋有の小説の登場人物は、いつも何かを発見していることに気付いた。これってこういうことか。この子達にとってはそうなんだ。これってもしかしてあれと通じる? みたいな。長嶋有歴二十二年以上(デビュー当初から)ながら今更発見した。
思えば読書生活再開の際に、読んでいなかった期間中に出版されていた好きな作家の本を渉猟する際に、真っ先に探したのが長嶋有、中村文則だった。彼らが書き続けていたことは、読書空白期間中も、自分の支えになっていた気がする。
巻末の著者近影では、コロナ禍に追いつかれたために、マスク姿の著者の姿がある。読み始めた当初、主人公の女性をどうしても、「長嶋有顔の女性」として想像していた。幸いなことに、著者近影でそのイメージが補強されることはなかった。
デビュー年を確認する際にWikipediaの項目を読んでいたところ、こんな記述を発見した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B6%8B%E6%9C%89
少年時代には漫画やライトノベルを好んで読んでいたが、図書局に所属していた高校時代に高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』を読んで文学の自由さを知る。また色川武大の短編「連笑」(短編集『百』所収)を読んで、「要約できないものを書くのが文学だ」と気付かされる[2]。
色川武大「百」の次に長嶋有、というのは必然的だったのかもしれない。