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村田沙耶香「変半身」

表題作「変半身(かわりみ)」は、劇作家の松井周が原案で、舞台化もされている。
閉鎖的な島で行われている伝統的な祭りから逃げ出そうとする中学生たちの話から始まる。

 はやくみんな死ねばいいのにな。私は村の大人たちのことを、いつもそう思っている。私たちが一番年上になったら、この島は今とはまったく違っているはずだ。六十年後には嫌でもそうなるだろうけど、今すぐそうなってほしい。
 村の老人たちを集めて燃やしたら、この島は私たちのものになるのだろうか。祭りが近くなったせいか、最近、いつもそんなことを考えている。

 この島に信号は一個しかない。本当はその一個もあまり必要なくて、ほとんどの人が信号無視している。そんなものよりもっと祭りに予算を使ってくれと、父がよく愚痴っている。

祭りでは選ばれた人間しか参加出来ない秘祭「モドリ」があり、強制参加させられる新たな十四歳の少年少女は、男は袋叩きにあい、女は犯される。
しかし主人公たちが秘祭をぶっ潰すために画策した結果、秘祭がその形になったのは割と最近の話で、エロ漫画での「秘祭シチュエーション」ブームに乗っかって、自分たちも美味しい目を見ようとした結果生まれたものだったのだという。

そこから現実の意味も剥がれ始める。
閉じた島での伝統に従いながら生きていくつもりだったものの、真実はそうではなかった。島を出た登場人物たちはイカサマめいた世界で演技を続けながら、故郷の島に戻るハメに陥る。帰省したそこは観光地プロデューサーによって穢され、かつての信仰対象も忌むべき祭りも過去のものとなり、親族までが観光地としての役割を演じて観光客に「ファンタスティック」と叫ばせている。

さらにそこからもう一枚現実は剥がれ落ちる。

「満潮」は潮吹きの話。女性だが夢精をして目を覚ました語り手と、男にも潮吹きがあるらしいと知って、夜な夜な一人風呂場にこもって潮吹きに挑戦する夫。夫のことを友人に相談すると、こんな言葉を引き出してしまう。

「潮なんて、男の人が喜ぶためだけの言葉だよ……さんざん人の身体を使って無理矢理引き摺り出そうとして、嫌な思いばかりさせて。自分のファンタジーを叶えるために、他人の性を踏みにじる。彼等のエクスタシーのための言葉なんだよ。私には、そういう言葉を使う人間が化け物に見えるときがある」

これがなんやかんやあって夫婦揃って海岸に行って、老婆たちが海に向かって勢いよく放尿する場面に出会う話になる。
どこに現実がある? どこにでも現実はある、なんて言葉がふと浮かぶ。夜中、キッチンの薄暗い電灯の下で読み終え、自分がどこにいるのかよく分からなくなっていた。


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泥辺五郎
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