秋の夜長の一人鍋
今日の夕飯は鍋です。
私はそれを知っています。
どうしてそれを知っているかと言いますと、妻からラインで「今日は鍋です。冷蔵庫にお肉と野菜あり」という連絡が来たからです。
夕飯の内容の連絡が来たということは、あなたが家に帰って来る頃には私と娘は先に寝ているので、後は自分で適当にやって下さいということを意味します。
つい最近までは私が働いているレストランも時短営業だったので、妻と娘が起きている時間に帰れることがしばしばあったのですが、数日前から飲食店(認証店)への時短要請が解除されたので、それにともない、私の帰宅時間も大幅に遅くなり、以前のように私が家に帰る頃には家族はすでに寝ているようになったのです。
家族が起きている時間に帰れていた時の私は、娘の相手もしなければいけないし、散らかったままのオモチャも片付けなければいけないしで、「早く帰ってこれるってのも、これはこれで大変だな」なんて思ったりもしていたのですが、今となっては、やはり帰ってきた時に家が静まり返っているというのは少し寂しいような気がします。
人間はなんでこうも無いものねだりになってしまうのでしょうか。
私は仕事を終えて家に帰ると、まず最初に手洗いをして、次に冷蔵庫を開けました。そこには妻が言っていたようにしゃぶしゃぶ用の豚肉と、木綿豆腐と、白菜、豆苗、えのきが用意されていました。
コンロの上に置かれた鍋の中には、鍋用のスープが作られていて、後から自分で具材を入れて一人鍋ができるようになっていました。
私は一旦冷蔵庫の扉を閉めて、先にシャワーを浴びることにしました。一日中料理を作っていると、髪の毛や体に食べ物の匂いと油の匂いが染み付きます。それを一刻も早く、一日の疲れとともに洗い流して、さっぱりとした体でゆっくりとくつろぎたいからです。
私は素早くシャワーを浴びて、ドライヤーで髪を乾かしました。
そしてキッチンへ向かい換気扇を回して、鍋用のスープが入った鍋を火にかけます。
そして私はハイボールを作るために、50mlまでしか計れない小さな計量カップを使って、ウイスキーをきっちり45cc計りグラスに入れました。
その小さな計量カップは蓋がなくなってしまった魔法のランプのような形をしています。蓋がないのでランプの精が宿ることもありませんし、願いごとを叶えてくれることもありませんが、今の私の気分をちょっとだけ良くしてくれるには十分すぎる代物です。
私はウイスキーの入ったグラスに、冷蔵庫から取り出した強炭酸水を入れてハイボールを作り、それを飲みながら鍋が沸くのをじっと待っていました。
鍋が沸くとまずは豆腐と野菜を投入します。こんなに一人で食べきれないでしょと思うくらいの量の野菜たちは、完全に鍋の容量をオーバーしていて、日本昔話に登場する山盛りご飯のようなってしまっていました。
私はコンロの前に立ったまま右手に菜箸を持ち、左手にはハイボールを持ち、鍋から溢れそうな野菜たちを菜箸で突っつきながら今日一日の出来事を思い返していました。
昨日の納品時にオリーブオイルを持ってくるのを忘れた乾物屋さんが、すいませんの一言も言わずに新商品のチラシを置いていったことや、掛け売りで注文したはずのワインが代引きで届いたことや、有機野菜の段ボールの中から違うお店の納品書が出てきりしたことです。
今日は全体的に歯車が少しずれていて、モヤモヤとした印象の一日でした。
そんなことを考えているうちに、あれだけ山盛りになっていた野菜たちは、まるでカタツムリが殻の中に隠れてしまったかのように、いつの間にかすっかり鍋の中に収まっていました。
私は白菜が柔らかくなった頃合いを見計らって、しゃぶしゃぶ用の豚肉を一枚ずつ剥がしながら、お岩さんのように「1枚、2枚、3枚」と独り言を言いながら鍋に入れていきます。
8枚あったお肉を全部鍋に入れてしまうと、私は野菜が入っていたボウルと豚肉が入っていたパックを洗います。その間にお肉にちょうどよく火が入り、洗い物が終わるのと同時に鍋が完成するという計算です。
計算通りに鍋が完成すると、私は新しいハイボールをもう一杯作り、鍋をどんぶりによそってテーブルの所定の位置に着きました。できたての鍋を一口頬張ると、あまりの熱さに「あふい、あふい」と謎の小さな吐息が漏れてしまいます。
私はすかさずハイボールを口に含み、ごくりとそれを飲み込むと、体からすーっと力が抜けていくのを感じました。
鍋を一口食べたら腹の虫が思い出したように鳴き始めたので、私は無心で鍋を貪り尽くしました。
そしてあっという間に鍋を食べ終えてしまうと、すっかり食欲も満たされて、体が奥の方からポカポカとしてきて、さっきまでのモヤモヤは嘘のように消えているのでした。
秋の夜長に食べる一人鍋は、どうやら私の心を慰めてくれたようです。
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