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ぼくとじじのひみつ


「うるさいなー」
「泣くな!うるさい!!」
わたしの父が息子に何度もさけんだ言葉。

”認知症”が進行してきた父は、「大人だから我慢する」という感覚がなくなり、嫌なものは嫌、となっていた。
息子の方は3歳なりたて。息子だって嫌なことがあったら言葉で説明するより、泣くことが多い。

心配した。孫と祖父の関係が壊れていくのではないかと。どっちが悪いわけではない。でもこれではお互いにいい思い出が作れない。

わたしたちは海外に住んでいるので、日本へ一時帰国は、できても1年に1回。日本に居る父になかなか顔を見せに行くことができないので、余計に信頼関係を作るのが難しい。それでもなんとかお互いに、特別な孫たち、特別なおじいちゃんという関係を気付いて欲しかった。母はもう他界している。父が唯一の家族。

とにかく話をしてみよう!

わたしには他に、ふたり娘がいる。その当時、6歳と8歳。まだまだ小さいが、じじの病気の話をしてみようと思った。難しくなく、わかってもらえるように。

  • じじは頭の病気があること

  • あなたたちが嫌いになったわけでない

  • 大きな音や、雑音にびっくりして、うまくコントロールできなくなった

  • じじはあなたたちが大好きであること

  • じじは頭の病気をわかっていないこと

  • じじはママのお父さんだからみんなを心配してくれていること

さて、効果は?

娘たちはどこまで理解してくれたかわからないが、話をしてからは「じじのために静かにして」とお願いするとすぐ行動してくれた。
父を怒らせないよう、不快にならないよう、わたし自身も大声をださないようにしたし、子どもたちの声も気にかけた。
子どもたちに対しても、嫌な気持ちにならないように、じじが怖いと思わないように、元気だった時のじじの話をよくした。

さて、息子。残念ながら、息子は全く理解はしていなかったが、他のこどもたちが気を使ってくれていたので、きょうだい同士のけんかも少なくなった。息子が何かの理由で泣いてしまった場合、父から離れた場所に移動するか、どうしてないているのか父に説明するようにした(父もあの当時は理解してくれたようだった)

ぼくとじじ

やがて父は、

残念ながら父の症状はよくなることはなかった。
帰国のたび、父が子どもたちをどこまで理解をしているのか?心配ではあったが、家の中に入っても嫌な顔はしなかった。それは良かったと思う。
父にその気がなくても、立場は逆転し、娘たちの方が父を心配するようになってきた。
息子も父の病気を少しではあるが理解してきているように感じた。

コロナが流行。オーストラリアでは長いロックダウンもあり、子どもたちは数年日本に帰れなかった。父も子どもたちとの再会を待てず、他界した。

価値はゼロ、でも息子には?

子どもたちを連れて一時帰国することになった。父はもういないが、まだいろいろな処理が残っている。子どもたちを父が眠っているお墓にも連れて行きたい。

突然、息子が自分の貯金箱を持ち出した。日本円がいくらあるのか確認したかったようだ。日本円、オーストラリアドルと混ざっている中にひとつ、おもちゃのコインを見つけた。


わたしは息子に「これは日本円ではないよ。どこかのゲームセンターのコインかも?」と言った。

息子は言った。「じじがくれたの。ぼくとじじのつながり。だから、これはずっと取っておくの」と。

泣けた。息子がいつ、父からもらったのか知らないが、それを大切なものとしてずっと持っていてくれたこと、わたしの知らないところで父とちゃんとつながりを持っていたこと。

ピーピー泣いていた息子。何度も父からどなられた息子。理解できなかった父の認知症の1番の被害者になっていたと思う。

コロナの期間会えなかったときもあったので、じじとのお付き合いは6年程、しかも1年に1回。その中でも家族の絆は深まっていた。心配していたが、しっかりできていた。

わたしから感謝


父へ、きっと何の価値もないコインだったと思う。でも、息子の心を支えるものすごい大事なコインになったよ。息子に渡してくれてありがとう。

息子へ、父のことをずっと大切に思ってくれていたのね。やさしい心を持った子に育ってくれてありがとう。


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