「子どもを信じること」
こんにちは。元小学校教員のドラ(@dora_webchange)です。このnoteでは、田中茂樹・著「子どもを信じること」について紹介します。
本書の筆者、田中茂樹氏は、医師として主に心療内科の診察行い、悩みを抱えた(不登校、引きこもり、過食、拒食、リストカット、解離性障害など)多くの子どもや親たちと関わってきました。
また、臨床心理士を育成する大学院では、面接技法や精神医学を指導し、自身もカウンセラーとして主に育児に悩む親たちのカウンセリングをしてきました。
そして、筆者は4人の男児の父親でもあります。息子たちの特性に悩み、日々向き合ってきたという経験をもっています。
そんな筆者が推奨する「子どもを信じる」という方針に基づいた子育てについて、エピソードを中心に具体的な方法を解説した本書。とんでもなくいい本だったので、ぜひみなさんにご紹介したいと思いnoteに書いてみました。
私自身、小学校教員として5年間勤務したのち、今も教育事業に携わっていますが、今までの教育に対する価値観を大きく見直すきっかけになるほど衝撃的な本でした。
自分が親になったときにも心にとどめておきたい、大切な考え方を学ぶことができました。
「こういう抽象的なのはどうも苦手で、具体的なエビデンスベースの手法が知りたいんだよね」という方にも、本書はきっと勉強になると思いますので、少しの間お付き合いいただけると幸いです。
「子どもを信じること」とはどういうことか
「子どもを信じること」とは
「子どもに小言を言わず、やさしく接すること」だと筆者は言います。
子どもの様子を見ていると、つい口をついて出てしまう
「早く片付けなさい」
「宿題はやったの?」
「いつまでゲームをやっているの」
などの小言を一切言わないようにするのです。
これを聞くと
「いや、それでは子どものためにならない。あまやかせって言うのか。」
「簡単そうに言うけど、それができたら苦労しないよ。」
という方もいらっしゃるでしょう。
もう少し補足をすると
「子どもに小言を言わず、やさしく接すること」とは
「『子どもには、経験から学び、よりよくなろうとする力がある』と信じて、小言を言って強制するのではなく、もっと楽に接していい」ということなのです。
「子どもの問題」は子どもからのSOS
不登校などの状態は、「子どもの問題」として扱われます。
しかし筆者はこのような「子どもの問題」の多くは歓迎すべきものと述べています。表現されなければ、そこに問題があることに気付けないからです。
子どもが不登校をいう選択をとることによって、「苦しい思いをしている」ということに気付くことができます。苦しい思いをしながら、我慢して学校に通っていることの方が、問題として深刻であるといえます。
本書では、この考え方をわかりやすく伝えるために、ちょっと変わった例が挙げられています。
前述の「子どもに小言を言わず、やさしく接すること」にもつながるように感じます。「子どもの問題」が表面化してからやさしくするのではなく、はじめからやさしくしたらいいのではないかということでしょう。
子どもは導かないと成長しない?
一所懸命に小言を言って、きちんとさせようとする子育てに対して、筆者は疑問を呈しています。「子どもは正しく導いてやらないと、まっすぐ成長していかないのだ」という考えは、真実なのでしょうか。
筆者は上記のような立場から、子どもが、親の指示がなくてもよりよくなろうとする姿勢を見せる瞬間を多く目の当たりにしたといいます。私も元教員の立場から非常に共感できます。
みなさんも心当たりがあるのではないでしょうか。
自分が子どもだったとき、親に小言を言われないと成長できなかったのでしょうか。
しつこく小言を言ってきちんとさせなくても、子どもは自分でよりよくなろうとする気持ちをもっています。愛情をかけて見守っていれば、経験から学んで成長できると信じることが大切だと筆者はいいます。
近すぎる親・遠すぎる親
子ども、親、そして現実社会。これらの三者の関係について、筆者は理想的な関係性を下図のように示しています。
ポイントは、子どもが現実と向き合う機会を確保しつつ、必要な支援を適度に行うというバランスです。
近すぎる親
ここで、筆者のいう「近すぎる親」の三者関係図を見ていただきます。
先ほどと大きく違うのは、子どもが向き合うのは「生の現実」ではなく「親が加工した現実」です。具体的にこれはどのようなことを指しているのでしょうか。下記に本書の例を紹介します。
こうした近すぎる親の問題として、子どもが出会うべき現実を加工し、学ぶ機会を奪うことが挙げられています。
加工の例としては、食事、服装、移動、人間関係への制限、さらに受験、就職、結婚への過干渉などさまざまです。
これらの親たちは「子どもと一体になって苦しんでしまう」と筆者はいいます。
子どもの苦しみをまるで自分自身の苦しみのように感じる傾向があり、主語が省略されたり、事実関係が必要以上に事細かに語られたりするのだそうです。
私自身も小学校教員を5年間務めるなかで、このような方々と接する機会がありました。筆者は「近すぎる親」の特徴を非常によく言い表していると感じます。
また、事実を加工しないことと、放っておくことは違うことだと筆者はいいます。子どもに安全な失敗を経験させて、学ぶ機会を十分に確保してやることが、親にできることなのです。
遠すぎる親
一方で、遠すぎる親についてはどうでしょうか。
本書では概念図が2つ示されています。
「遠すぎる親」の特徴として、子どもに「自分に賞賛を集める役割」を期待する点があります。子どもに向けられた賞賛は自分に向けられたものととらえ、子どもの存在はアクセサリーのように感じているのだそうです。
運動会でわが子が1位になったり、図工の作品が入賞したりしたときには、子どもの喜びに共感するのではなく、まるで自分のすばらしさが世間に認められたように誇らしく感じるといいます。
これは批判についても同じように作用するので、子どもの失敗を過度に責める傾向もあります。
こうした遠すぎる親の問題として、子どもの気持ちに関心がないということがあります。子どもが失敗したときにも、その気持ちに共感するのではなく、恥をかいた自分の心を大切にしてしまうのです。
よって、子どもが苦しい思いをしていても周囲に相談することがないので、事態が深刻化することも少なくないのだそうです。
このような親の元で育つ子どもは、親(または周りの人)の気持ちに敏感になりすぎるところがあると筆者はいいます。
自分がいまどんな気持ちかよりも、人にどう思われるかを気にしてしまい、自分の心が受けているダメージに気付きにくくなっていきます。
「防衛機制」自分を守ろうとする心のはたらき
「防衛機制」を説明するのによく用いられる例として「キツネとぶどうの話」があります。
これは「合理化」という防衛機制の一例です。
満たされない欲望に都合のいい理由をつけて、自分の心を守ろうとしているのです。
このような心のはたらきを「防衛機制」といい、「子どもの問題」の多くはこのはたらきと関係しています。
本書ではこの防衛機制について多くの例が紹介されていますが、ここではそのなかから一部を取り上げてみたいと思います。
「投影」自分の認めたくない部分を相手に映し出す防衛機制
思春期には、「優等生」と言われる子が、友達とのコミュニケーションに悩むことがあります。私が小学校教員のときにも、実際にそうした場面を目にすることがありました。
「優等生」と言われるような子は大人に対して感じよく接し、素直で言うことを聞いてくれます。こちらから頼まなくても、よく手伝いをしてくれるなど、非常に気が利くことも特徴です。
こんな「優等生」が思春期になり、どのようにして仲間たちとのコミュニケーションの問題を抱えるのか、下記の例がとてもわかりやすいです。
「優等生」を攻撃することで、「自分は優等生ではない」と強調しているかのようにも見えます。
思春期になると、大人の言うことを素直に聞くことに違和感をおぼえます。それを他者に「投影」し、攻撃することで「自分は違う」と安心できるのでしょう。
ほとんどの場合、Bくんのような立場になってもキャラを変えるなどして乗り越えていくものですが、一部うまく人間関係を調節できなかった子は「不登校」という選択をすることもあります。
このような「優等生」の親はしつけの意識が高い場合が多いです。
その結果として、生活習慣や挨拶などの適切なふるまいが身につきますが、仲間と打ち解けて過ごす力や自分の気持ちに気付く力などを身につけ損なうことがあるようです。
厳しいしつけのデメリットについても自覚しておく必要があるのかもしれません。
ここでは子どもの心にはたらく「防衛機制」について取り上げましたが、親自身が発動する「防衛機制」の例も本書では紹介されています。詳しく知りたい方は、本書をお読みください。
子どもとのコミュニケーションで大切な3つのこと
結局何が大切なの?という方のために本書から3つ、私の独断で選んだ「子どもとのコミュニケーションで大切なこと」について書きたいと思います。
学校でも、これができる教師はできない教師に比べて、段違いに子どもたちから信頼を得ていると感じますので、ぜひ参考にしてみてほしいです。
先に進まない
小言を控える
思いを伝えあう言葉を増やす
以下1つずつ紹介します。
1. 先に進まない
「あのね…」
子どもから話しかけられたときのよくない返し方として、すぐに5W1Hを聞いてしまうことがあります。
これがなぜよくないか。それは子どもたちが話しかけてくるときには、彼らなりに伝えたいことがあるからです。
それを子ども自身が話す前に5W1Hの質問を返してしまうと、子どもが本来話したかったことではない方へずれていくのです。
聞く方は、「うんうん、それで?」と前のめりに興味をもって聞くだけで十分なのです。
子どもの話は支離滅裂で、意味がわからないときもあると思いますが、彼らの視点はときに興味深く、おもしろいものです。話を聞くことそのものを楽しめるようになれたら理想だなと思います。
2. 小言を控える
これは本書を通して、一貫して筆者が述べていることです。
これが増えすぎると、親と話すことが子どもにとって楽しくないことになります。
自分が子どもの頃、親の小言にうんざりしたことがある人も多いでしょう。
子どもの自主性を育てるためにも、小言は控える場面も必要です。
筆者は子どもに対する声かけを一日分記録して、小言がどの程度あるかを確認してみることを勧めています。多すぎる場合は、これを意図的に減らしていくことで、子どもから話しかけてくることが増えるといいます。
3. 思いを伝えあう言葉を増やす
小言を減らした分こちらを増やすと、子どもとのコミュニケーションはよりうまくいきます。
子どもと過ごす時間そのものを楽しむ気持ちがもてるからです。
具体的には
「○○についてどう思う?」
「××は楽しかったね」
などです。
本来難しいことではないはずですが、忙しい毎日のなかではふと忘れてしまうようなことかもしれません。
指示や小言で子どもをしつけることに一所懸命になるばかりではなく、子どもと過ごす時間そのものを楽しんでいく子育ても素敵だと思います。
おわりに
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
書いてきたなかには、納得できないことや腹落ちしないこともあったかもしれません。世の中の一般的な子育ての価値観とは、少し違う視点で述べられている本だと感じます。
それでも、私はこの「子どもを信じること」を中心に据えた子育ては、子どもにとっても親にとってもメリットの大きいものだと思いました。
子育ては多くの苦労を伴うものかもしれませんが、少しのマインドチェンジで子どもと過ごす時間が少しでもあたたかい笑顔に満ちたものになると、素敵なのではないかと思いました。