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蕎麦だ、温泉だ、そして歳だ。#1979 α

20代の頃、なぜ世の中のおじさんと呼ばれる人、
おばさんと呼ばれる人のお腹が出ているのか、
理解に苦しんだ

それは、自分がどれだけ食べても
太らない体質だったのもあるかもしれない

深夜1時過ぎの
豚骨ラーメン
パスタ
白米

どんなに夜遅く思い切り食べても
ブラックホールのごとく、
朝となれば、
どこかへ消えてなくなっていた

「メタボ」
という言葉も
どこかの惑星かよ!と思うほどで
自分には全く関係がない、と
信じていた

しかし。
40代を過ぎて、
ふと、気づいてしまった

見事に膨れている
の、である

自分の身体ながら、
「こいつか!」と
出現した腹を見て
思った

そうなのだ。

圧倒的に消化力が落ちた。
「ガツガツ」食べられない。
胃もたれがする。

先日も20代の若者とランチに
行ったが、昼間からタン塩定食大盛りを頬張る
若人を前に、
「よく、食べるね」
感嘆の声を漏らしたばかりだ

それと同時にわかったことがある

それは「蕎麦」の偉大さ、だ

子どもの時、蕎麦なんぞ
食べていられるか、と思っていた
大体、爺さん、婆さんの食すもので
味も素気もない

ズルズルズルズルと
啜るばかりで、一体何が美味しんだろうね
と思っていた

それは、温泉も同じだ

爺さん婆さん、
そして大人たちが
「いい湯だね〜」と言って
寛いでいる

子どもは、遊びたいのである
走り回りたいのである
爆発したいのである

しかし、
一日中、宿に入って
風呂なんぞ、入って
挙句の果てに、
いつもより多めのご飯を食べて
寝転んでいる

全く楽しくない、
理解に苦しむ

そんな、思いでいた。
でも。
今なら、わかる。

そう。
大人には「休養」「滋養」が必要で
ストレスからフリーになる場所
それこそが、温泉だった

休養も、滋養も、関係ない
ガキが共感できなかったのも
今ならわかる

それと同じく「蕎麦」だ。

今ならわかる。
なんて、身体に優しいんでしょう、と。
そして、程よい距離感で
食欲を満たせてくれるのでしょう、と。

またトッピングを楽しみ
バリエーションがあることで
どんなに救われるでしょう、と。

そう。
年を積み重ねていかないと
見えない景色がある。

もう、メタボのおじさん、おばあさん達を
横目で見ない。
あちら側だと思っていたものが、
こちら側になってしまっている。

それでも、
体重計に乗りながら
腹との睨めっこをしている

まだ、もう少し
足掻いてみよう。





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