1年以上続いた、私の不器用すぎる就活。EP1 テレビ局に行きたい!!
プロローグ
私は、25卒。
テレビ局を目指していた。
7ヶ月間、重いES、動画制作、自己分析、面接練習を重ねた。
でも内定まであと一歩のところで、その道が絶たれた。
何度も面接に足を運んだのに、あっけなく、振られた。
大学4年生の2月までテレビ局以外の就活をしていなかった私は焦った。
早期化が顕著なこの時期に内定一つ持っておらず、
3月ごろから本選考が始まる他の企業の研究は0。
血迷った私は、総合商社、メーカー、広告代理店、映画配給会社。
とにかくいろんな業界に手をだし、とにかく量をこなした。
夢を諦めて、生活をするためだけに働くであろう企業にESを大量に出す日々。
自分の軸がいつまでも定まらない不安感。
「就活なんてもう最後はご縁だから」
どこかの誰かが言っていた言葉を思い出す。
ご縁ってなんだよ。ふざけんな。
結局、私に実力がないから、企業から選ばれないんだ。
そう思っていた。
でもこのもがき苦しむ時期を乗り越えて、私は言葉通り、「ご縁」を体感する経験をした。
この就活ブログでは、現実と理想の間で葛藤する全ての就活生が、力強く未来を見て踏ん張れるようなコンテンツにしたいと思っている。
それでは、私の1年以上にわたる就活ストーリーを話そうか。
EP1 テレビ局に入りたい!
エンタメ業界以外、考えれなかった。
でもエンタメ就活は酷なくらい厳しい。
倍率がえぐいほど高くて、ライバルたちは、自分よりもっとコンテンツ愛が深くてすごい人だ。
大学2年生の時、テレビ局の採用ページの内定者による合格体験記を読み漁っては、胸が締めつけられていた。
きっと、自分はエンタメ業界に行けるような器ではないのだ。
そう、薄々気づいていているのに、諦められない。
でもやるしかない。
大学3年生の夏、キー局全てのインターンに応募した。
全落ちの可能性も全然あるので、他の業界ももちろん出した。
きっと全部落ちる、と思いながら、震える手でマイページを開いて結果を見た瞬間のことは鮮明に覚えている。
夏インターン書類結果
T○S 合格 (この後の面接を通過すればインターン参加権獲得)
フ◯ 合格
日◯レ 合格
朝○ 受けてない。忙しすぎてかけなかった。無念。
テ○東 不合格
あれ?
私、意外といけるんじゃないか?
胸が高鳴った。
やっぱり、諦めなくてよかった。
絶対この機会を物にしてやるんだ。
日○レとフ◯は書類が通れば、インターンに参加できる。
しかし、T○S(ドラマ制作志望の私が一番行きたいところ)は面接があった。
生まれて初めての面接だった。
何をすればいいかもわからなかったので、ただ自己紹介と志望動機だけを準備して行った。
しかし、面接官は、機械的なうなずきをしながら、営業スマイルで、
肩透かしを喰らうような不思議な質問をいくつかした。
ドラマ制作インターンの面接なのに、ドラマ班に入る志望動機ではなく
「報道に興味ある?」
とか、
「最近、怒ったことはある?」
とか。
これらの想定外の質問に対して、はてなを頭の上にたくさん浮かばせながら、つまらない受け答えをして、面接はあっという間に終わってしまった。
帰りの電車では、どうしようもないくらい、腹の中に曇り空が広がっていくような心地がした。
「さっきの15分で、何も私のこと伝えられてない。」
心臓が冷たい手でいきなり掴まれたように、どくんと大きく脈打つ。
なんで。
どうして、うまくいかない。
私は初対面の人と話すことは、元から得意だった。
面接も同じだと思っていたのに。
そもそもなんであんな意地悪な質問をするのか。
ESを読んだ時点で興味のある人と、そうじゃない人がいて、自分は後者だったんじゃないか。
最初から、私を知ろうとなんて微塵も思ってなかったんじゃないか。
面接官に対して、みるみるネガティブな感情がふくらんだ。
でもすぐにその感情は、実力のない自分を守るための格好悪い言い訳でしかなかった。
面接ってこんなに難しいのか。
想定外の質問に対しても、自分のアピールポイントをうまく盛り込めるか、または、自分の話に引き込ませる誘導ができるか、
その練習を怠っていたことに気付かされた。
数日後、当たり前のように、不合格の通知がきた。
この後も、他の企業のインターン選考で面接を何度か受けたが、それらも全て落ちた。
書類は通るが、1次面接で落ちてしまう。
そんな状態が続いた。
この出来事で、完全に私の面接に対する苦手意識はエベレスト級に高まった。
唯一の心の救いは、
フ◯と日○レ、そして外資化粧品メーカー、ネズミーランドのインターンに参加が決まっていたことである。
次回作では、フ◯と日◯レのインターンでの死闘についてご紹介したいと思う。
お楽しみに〜!
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