動物から考える日本の暴力構造① 【後半】 動物運動の実際 〜ゲスト:アニマルライツセンター
*前半の続きです
動物運動に女性が多いのはなぜ?
——(司会:深沢)動物運動に関わる方は女性が多いですか?
岡田 めちゃくちゃ多いです。
——それはなぜでしょう?
岡田 柔軟性があるとか、女性の方が生活を変えやすかったりすることはあるのかもしれないですし、感受性の問題もあるのかなと思います。これは人間の運動でもそうですけど、ヴィーガンの脳を分析すると、かわいそうな動物や、酷い目にあっている人間を見ると、前頭葉の部分が強く反応する傾向があるんです。だからこの脳を持っている人が女性に多いのかもしれない。
生田 僕は学校で「野宿・貧困問題の授業」を行なっていて、声をかけるとよく高校生たちが野宿者のところを回る「夜回り」に来てくれるんですが、その9割は女性なんです。前から不思議なんですね。だって野宿してる人はほとんど男性ですから。何人かとこの点を話したんだけど、「男性は自分の内面を掘り下げていきがちだけど、女性は、海外の問題もそうだけど、自分とは違う他者に共感が働く傾向があるんじゃないか」と言っていて、そうかもしれないと思ったんですね。
感想文を読んでも、男の子は「ためになりました」で終わっちゃったりするけど、女の子たちはものすごく一生懸命書いてくれて、関心の度合いがまったく違うんですよ。そういう意味で、今までまったく別世界と思っていた野宿の問題に関心を持つのが女性に多いように、今まで身近だったけど関心をもたなかった動物問題に関心をもつのが女性の方が多いのかな、とは感じます。
岡田 共感力というのはあると思いますね。ちゃんとデータをとったわけじゃないですけど、活動していると特に、文字情報に反応するのは女性に多く、(良い悪いはともかく)映像に反応するのは男性が結構多いと昔から感じています。だからパネル展をしていると男女共に反応するんですけど、SNSのように文字だけの情報だと女性だけが反応するといったことがあります。男女差の脳みその反応なのかもしれないですけど。
——アニマルライツセンターが行った毛皮についての問題意識の調査では、男女差が非常に明確に表れていて、毛皮に反対なのは女性のほうが圧倒的に多かったですよね。
岡田 どの問題でもそうですね。動物実験でも、意識調査をすると、女性の方が反対であるという立場を必ずとっています。
運動論として考えると、わたしたちも男性が同じ割合で入ってきてくれることを目指してはいます。女性は人口の半分なわけですから、そう考えるとまだまだマイナーな運動であり続けている。今は環境問題だと男性もたくさんいますけども、メジャーな運動になっていくには男性も増えていかないといけないと思います。
生田 逆に、入ってくる男性というのはどういういった方が多いんでしょうか? たとえばサラリーマンは多いんでしょうか?
岡田 みなさんの職業まで聞いてないので正確にはわからないんですけど、ただ、男女問わず介護職や、他者のために従事してる人は多いと感じることはあります。
生田 ちなみにビッグイシューを買うのは多くは女性で、一番買わないのはサラリーマンだそうです。
岡田 ああ、それはわかります。チラシを配っていて受け取らないのは、スーツを着た男性です。スーツ着てるとまわりはシャットダウンするような気持ちになるのかな。一方で、男性だったとしてもラフな格好だったり、音楽好きなんだろうなとわかるような格好の人は、だいたい受け取ってくれる。渋谷で配っていると、いろんな傾向がありますね。
生田 スーツって、制服ですね。
——ちなみにアンチに女性はいます?
岡田 厳密にはいるんでしょうけど、あんまり見かけることはないですね。
鈴木 でもSNSのコメントだと女性だろうと思われる方はいますね。
——目の前で肉食ったりしてくるのは?
岡田 男性ですね。
辛い動画の編集は大変
——アニマルライツセンターのYouTubeには、動物たちが虐待的に扱われている映像が膨大にありますが、これらの映像はスタッフの方が調査に行って撮っているんでしょうか? それとも提供されることが多いんでしょうか?
岡田 基本的には提供してもらっています。内部告発とか、通りがかりに撮ったものですね。
——内部告発というと、その組織の中で働いていて現状に悩んでいる方なのでしょうか?
岡田 はい、そういうことです。
——こういう動画を編集するだけでも辛いと思うのですが、映像を見たり、資料を読まれたりしていて、スタッフの方が精神的にダメージを受けてしまうことはありますか?
岡田 わたしが一番辛かったのは、2005年に調査した中国の毛皮産業の動画を編集したときですね。動画は短くないと見てもらえないので、15〜20分くらいの動画を1分バージョンと3分バージョンに作り変えたんですけど、生きたまま毛皮を剥がされるところもそうですし、剥がされたあとに生きた状態で皮がないまま首をもたげる姿が映っていて、でもなんとか短くしたいから、何回もリピートしながら編集したときは、死ぬかと思いましたね(笑)。あれが一番きつかった。
鈴木 あと、岡田さん、豚の餓死の動画もきつかったですよね。
岡田 ああ、きつかった〜。
鈴木 岡田さん、豚の餓死の動画を編集してる時、げっそりしてました(笑)。
だから岡田さんはきついだろうなと思うことはあるんですけど、わたしはすでに YouTubeにあがっている動画をInstagramにあげるために1分くらいに短くする、というくらいで、岡田さんほど編集はしていないのですが、スタッフになってから辛い動画を見る回数は増えました。
でも、どっちかというと、やる気になるというか、動物たちの辛い現実を直視できるので、もっと頑張らなきゃな、と思えます。スタッフじゃなかったら、SNSでも「見たくないから見ない」とスルーしてしまっていたかもしれないけど、やっぱりスタッフになったら直視する時間が多くなったので、わたしにとっては今まで以上に、「この現実変えなきゃな」とやる気になるというか、いい起爆剤になっていると思います。
——ほんとにお疲れ様です・・・。
「声」を聞こうとしない人々——豚の餓死事件
岡田 あの豚の餓死はきつかったですね。「これを心的外傷っていうんだな」と思いました。
生田・栗田 豚の餓死とは?
岡田 2019年に愛媛県の養豚場がネグレクト状態(豚に餌をあげない)に陥っていて、それに気づいた方が中に入って動画を撮ってきてくださったんですけれども、豚たちが立ち上がって「餌くれ、餌くれ」ってキーキー鳴くんですね。それをその方は、わぁ・・・と言いながら、ぐるっと一周回って出てくる。それで警察に動物虐待罪で告発をしたんですけれども、不起訴になったんですよ。
栗田 え、養豚してる人が餌をやらなかったんですか?
岡田 そうなんです。親から農場を譲り受けた人で、やり方もたいして知らずにやっている状況だったようです。結局、親に養ってもらっている人だと、形だけ養豚やってればいいわけですよ。そうすると餌の補助金もくるし、でも生活費は親がくれるわけだからそんなにやる気がない。そこらへんが一番危ないんです。わたしが見た中で一番ひどかった牛の酪農場も、土地代のような不労収益が入ってきて、そんなにお金を稼ぐ必要がないという人が、惰性でやってたりしました。
栗田 仕事をしてるフリで生きていけちゃうゆえに、餌をやらずに、豚が苦しむということですね。
岡田 そうなんです。そういう人が一定数います。告発がくるのはそういうところが多いです。
生田 震災のときにも同じことがありましたけど、同じようなことが震災なくても起こっちゃうんですね。
岡田 農場が潰れかけたときに動物を無視して餓死させてしまった、といった事件はたびたびおきます。
栗田 それこそ原発のときとかは、まさか動物とこれで一生別れるとは思わなかったという人もたくさんいただろうからなかなか苦しい話だけど、今の話は、ただ餌をあげなかっただけという…。
岡田 見たらわかるわけなんですよ。動画だったとしても、伝わってくるわけですよ。豚がどれだけ苦しいか。肋骨が出て、それがどれだけ辛いかというのが一目瞭然で、誰が見ても直感的にわかることなんですけど、そこのオーナーは気が付かないんですよね。
生田 機械を止めているのと同じ感覚なんでしょうか。
栗田 苦しんでいる様子を見ようとしない、という話は、わりと人権の話でも笑えない話で、この「大学のハラスメントを看過しない会」のテーマの大きな一つですけど、被害を受けている声を聞こうとしないとか、言葉が通じるはずの相手でも、聞こうとしないと聞こうとしないんだ、 というのはよくある。人間で言葉がつうじても、「聞かなくていいもの」とカテゴライズしちゃうと聞かなくなる。
で、動物というのはその最たるもので、特に畜産の牛さんや豚さんだと、「聞かなくていいもの」と位置付けられているからこそ…。豚にあばらが見える、と聞いてびっくりした。豚って太ってる代名詞のような動物にあばらが見えるって相当なことだと思うんですけど、それでも「聞かなくていいい・見なくていい」としちゃう恐ろしさを今つくづく感じました。
岡田 女性の問題でも、「やめて」と言ってもそれがわからない・聞かないということとまったく同じだと思います。それは、自分より下だと見ていたり、自分とは違う生き物だと見ていたりすることによって起きる心理構造だと思います。
生田 街中で野宿の人が苦しそうにしていても、みんな通りすぎるのと同じでしょうね。
栗田 通り過ぎるだけじゃなくて、野宿の人は暴力も振るわれて・・・
生田 たびたび殺されていますからね。
栗田 恐ろしいのは、そうやって種をこえて、「この人は暴力を振るってもいい相手だ」「ご飯を与えなくてもいい相手だ」とか思っちゃうと、それができちゃうという人間の怖さ・・・。
生田 ブリーダーのネグレクトも度々ありますしね。
栗田 そうか。猫や犬が増えすぎちゃってネグレクト状態に。
岡田 多頭飼育崩壊になりますね。それはブリーダーだけじゃなくて、動物保護をする人でも起こることなので。「自分だったら絶対そんな状況で生きていたくない」と思っても、「褒められたい」「みんなにすごいと言われたい」というところからはじまり、「ホーダー」と呼ばれるコレクトしてしまう状態になっていくこともあるので。それも動物を下に見てるんじゃないかと思います。
——わたし以前、動物病院でアルバイトしていて、そこの院長はわたしにはやさしくて親切だったし、動物を虐待するような人ではなく、何回も妊娠させられて死にかけているダックスフンドのお母さんが運ばれてきたときも引き取って保護していたけど、「犬猫は札束にしか見えない」と言ってましたね。
システムのなかで起こる暴力——責任逃れをする組織
——家畜だと牛の虐待はこの前起訴されたんですよね?
岡田 そうですね。家畜の虐待がはじめて起訴されて、罰金刑ですけど有罪判決を受けました。なので日本社会も少し変わったかなと思います。これまでは16万羽の鶏を餓死させても全然有罪判決にならない、起訴すらされない、という社会だったから、一歩進んだかなという感じです。
——アニマルライツセンターの動物愛護法についての記事では、現状の日本では、「1羽のインコを個人が虐待すると罪になるけど、100万羽の鳥を殺しても罪にならない」ということが書かれていました(https://www.hopeforanimals.org/animal-welfare/animal-abuse-crime/)。組織やシステムのなかで行われた暴力は罪に問われなくなる、という不思議があるように思います。
栗田 ハックリーの言葉のようですね。「1人殺すと人殺しだけど、100万殺すと英雄だ」って。要するに、「100万殺す」というのは戦争のことで、国家のシステムの中で仕事のように成果を出すと英雄になるという。
岡田 そうなっちゃってますね。牛の事件も、本当だったら、従業員を罰するとともに、法人の方も罰さなくちゃいけなかったはずなんですよ。動物愛護法もそういうふうになっているんですけど、でもそこは認められていないんです。虐待している向かい側に人が歩いたりしていて、暴力が看過されて、間違いなく管理不行き届きであるにもかかわらず、法人は「関係ありません」という立場をとったんです。
——それはほんとハラスメントと同じですね。セクハラが起こっても、加害者本人が辞めさせられたり罰せられるところまではなんとかもっていけるけれど、大学の責任を認めさせるのがめちゃくちゃ難しいんですよ。
岡田 どの問題も同じ構造になりますね。
——個人にだけに責任を押し付けて、トカゲの尻尾切りで加害者本人だけ切って、組織の中の構造的な問題は見直されないまま継続し、それでまた加害者が出て繰り返す、ということをやっている気がしますね。
岡田 今回は本当にみごとな尻尾きりをしていますね。前進は前進なんですけど、最初の頃からスパッと切ってたのて、もやっとしたまま終わりました。
→②へ