誰からか学んだ言葉遣い
前回の記事から約1ヵ月が経ちました。当時の記事は意外と反響をいただけました。ありがとうございます。現在は、同時期に某コミュニティを抜けたメンバーと新しいグループを立ち上げ、少しずつですが活動しています。
twitchの方で既に何度か触れてはいるのですが、現時点では手帳を持っているヒト向けで、ゲームをしながらのコミュニケーションを通じて日本語の表現について考えるコミュニティとなっています。
ゲームをしていると、様々なシチュエーションを疑似体験出来ます。
例えば、魔物に襲われて死にそうという状態。こんな状況は、現実の日常生活では、中々体験出来ません。ゲームとは言え、自キャラが死んでしまいそうなとき、それが繰り返し挑戦可能なものであっても、ドキドキするようなことがあると思います。マリオカートのようなゲームで、曲がるたびに自身の身体が傾いてしまうようなゲーム初心者であれば、尚更だと思います。
コミュニティでは、そういったシチュエーションで、自分がどういったモノの見方をして、どう判断し、そしてどう発言したかということ。またそういった追い込まれて余裕のない場面で、自分が他者をどう捉え、どういうコミュニケーションをしたかということを、ゲームの録画・録音を通じて検証・共有し、普段のやり取りに活かしていこうと取り組んでいます。
今日は、そういった取り組みの中から出てきた1つの考察について、文字にしてまとめていければ良いと思っています。
なんで~~しないの?
皆さんも1度は聞いたことがあって、使ったことがある言葉だと思います。
具体的に言えば、4人で協力してステージクリアを目指すアクションゲームで、回復役の方がダメージを受けて瀕死になった時、冷静に考えれば自分で回復アイテムを使用すればその問題が解決出来るはずです。ところがその時は、その場ですぐ使わずに、目に映るモンスター全てから逃げ回った挙句、大量に引き連れた状態で倒れ、その後残された3人が雪崩のようなモンスターの津波に飲み込まれたというシチュエーションでの一言、「なんで自分で回復アイテム使わないの?」でした。
この表現の問題点
この日ゲーム中、特にその日の後半頃には、この表現ってどうなんだろうと思いながらプレーしていて、翌日の録画を見返しながら私が思ったのは、"この表現は、普段何気なく使っているが、使われるとイラっとするような気がする"ということでした。
皆さんも生徒や学生の頃の定期試験の点数が悪かった時などに、親御さんから「何でもっと勉強しないの」とか言われたこと、あるのではないでしょうか。しなきゃいけないのは分かってる。けど、その当時はそう思うことが難しかった。そういう感情が芽生えても、冷静に考えるとテスト前は勉強するべきだって分かってたはずで、それが出来なかったからこそ、この発言に上手く言い返すのが難しく、もやもやとした感情だけが残ったのではないでしょうか。
今回の件もこれと同じで、確かに死んだ後で冷静に考えれば、自分が回復役なのだから、回復アイテムを使用すれば良かったのは分かる。しかし、ゲームに不慣れな状況で、他者に迷惑を掛けないために、先ず死なないようにしたいという気持ちが強く表れ、瀕死の状態で敵が来たら怖くて逃げてしまった。と言う事は、事後一連の流れを順々に追っていけば理解することが出来ます。
つまり、この発言自体に、大きな問題は無いように思えます。問題があるとすれば、発言する側には、「君くらいの能力があれば、冷静に考えれば分かるはずだ。私はそう信じて、君を信頼している(or君に期待している)。」という、ある種の甘えがあるくらいではないでしょうか。
これは前提として、この発言で終わるならということがあると感じています。つまるところ、この発言の後にあるやり取りが、ヒトの心理に大きな影響をもたらしているのではないか?と私は考えました。
そして、その問題となるやり取りは、大きく分けて2つあるように思っています。
1.発言された側が何か言い返した時
良くあるシチュエーションだと思います。特に、親と子のやり取りで頻発するのではないでしょうか。
簡単に言うと、子が何か弁明した時、親が「言い訳するな!」と上から押さえつけてしまうシチュエーションになります。
素直に何でも答えることが大事と思える子供であれば、"なんで"と聞かれたら答えるのが当たり前なはずなのに、答えるたら怒られるという理不尽なやり取りが行われているように感じることでしょう。実際理不尽です。
こういう経験が幾重にも重なれば、この「なんで~~しないの?」という切り出しに対して、マイナスの感情抜きに捉えることは難しくなるように考えています。
2.特定の語句が付け加えられた時
もう1つも良くあると思います。「なんで~~しないの?普通に考えれば分かるじゃん」というやつです。類義語として、常識的に考えればとか、皆そうしてるとか、色々ありますが、要するにそういうやつです。
既に当時の状況を振り返るフェーズに入り、一番興奮して視野が狭くなっていた時期と違い、少し冷静に振り返っている中で、お前は他者に比べてはるかに劣っていると重ね重ね言われて、良い気分になるヒトはあまり多くないように思います。
どうしてこういった語句を付け足すのか
事が起きてから時間が経ち、録画を見返す中で、冷静に考えれば考えるほど、こういうやり取りをする時、こういう発言をする側がもしかしたら冷静さを失ってしまっているのかもしれないように感じています。
例えば、我が子の定期テストの成績が良くなかったとき、冷静になってかけるべき言葉は、「なんでもっと勉強しないの!」ではなく、「済んだことは仕方ない。でも、次のテストに向けてどう取り組むか、今から良く考えよう。」であった方が良いように思うし、回復アイテムを使えず、結果的に部隊を崩壊に導いた方に対しても、「次は僕の後ろで落ち着て、ゆっくり回復アイテム使えば良いだけだよ。」という言葉を選ぶことも可能だったような気がします。
そういう声掛けが出来ない以上、自身も感情的になり、理性的ではないのかもしれません。
あるいはもっと別の、高次な欲求があるパターンもあるかもしれません。具体的に言えば、相手を自分の意のままにコントロールしたい欲求というやつですね。「期待して損した」とか、「がっかりした」に近い使い方で、この「なんで~~しないの?」という言葉を使うときが、それにあたるように思います。
言う側からしたら、相手を対等に見ていない、どういっても相手は自分から離れていくことが不可能であるというシチュエーションで使われるこの言葉は、ただの暴力だと思います。そう思いながら使いつづけて、結果的に孤立していく方もいらっしゃると思いますが。
無意識に他者から学んでいること
言葉というものは、幼いころから親を始め自身の周りに居るヒトから学ぶことが多いものですが、それが必ずしも良いかどうか、どこかで再定義する機会がヒトから人間になるプロセスに於いて必要なのかもしれないと、今回の件を通じて改めて感じました。
色々な体験を経て、今日こういう機会に恵まれ、失敗を恐れながらも許容し、互いを認めて対等な存在として扱い、傷つくことがあっても手を取り合って前に進みながら、意識的に学びあえる仲間を得ることが出来たこと、とても感謝しています。
まだ私自身とても未熟で、日本語が下手で、配慮に欠ける発言も多いですが、日々善く生きることを目指して、新しいコミュニティでも頑張っていけたら良いと思っております。
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