『月と六ペンス』(サマセット・モーム)読了
ストリックランドは人間が意識して感じられる領域を超えた場所にある美を求め、そこに人の見返りや干渉などそのほか一切を求めなかったが、もしかしたら誰よりも自分の美に対する情熱を愛情深く思っていたのではないだろうか。
まるでそれがろうそくの火の如く、音もなく消えてしまうことを一番に恐れるように。
実在しない男の人生に心動かされたわたしは卑怯な気がする。熟れすぎたいちじくを、さもこの世の何よりも耐え難く美しいと感じることで自分を慰めるみたいだ。とても清々しくなれない。
読み終わったあと、ぼんやりと今まで頭に広がった景色や人々の顔を思い浮かべた。それらはすべてモームが描いた虚像であり実存などしないのに、どうしてか、私は"ストリックランド"という男を知っている気がした。そして言葉だけで伝えられた最期の絵を、私も見た気がした。
青臭い葉の匂いと南から吹く湿った風が鼻を触る。実際に鼻から通った空気は、空調の効いた部屋の静けさだった。