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若者よ、スマホを置いて全力で飯を食え

※ スマホで動画を見ている構図がなかったので、トップ画像はPCバージョンで代用。

私もまだまだ ‘若者’ の部類に入る年齢ではあるが、同年代を含め「スマホながら食い」をするすべての人に言いたい。

もっと全力で飯を食え
(食べる対象に集中力を向けろ)
食う喜びを最大化しろ


まず共有したい基本的価値観

昨今はコスパ(コストパフォーマンス)やタイパ(タイムパフォーマンス)が選好されがちな時代だと言われる。時代は移り変わるし、社会にとって大事なものが再発見され進化を遂げることは重要だ。
ただ、私は何にでも無条件にそれらの価値観を適用するのは危険だと考えている。コスパ・ タイパが360度侵食した先に、『人間としての幸せ』はないからだ。

押さえておきたいポイントを以下に挙げてみる。

  • 人間はコンピュータではない。コンピュータは疲れない、忘れない、(インプットした指示に対して)間違えない、技術の進歩で指数関数的に処理能力が伸びる。が、人間はそうではない。

  • ながら作業=効率化=人生幸せ、は勘違い。1つ目も2つ目も「≠ (ノットイコール)」が入る。適材適所の効率化と全方位効率化中毒は違う。

  • 人間は生き物である。‘身体性’ を軽視することなかれ。

無論、効率化が理由でながら食いをしているわけではない人も多くいるだろう。それは人の目を意識しての気まずさなのか、はたまた四六時中何かを ‘消費’ していないとソワソワするほどコンテンツに依存しているのか、まあ色々あるだろう。
理由が何にせよ、食べる行為(食べ方)を疎かにすることが危険であることに変わりはない。


ながら作業では想像以上にとりこぼしが発生する

音楽を聴きながら勉強をする、ラジオを聴きながら家事をする、講義を受けながら内職をする、ポップコーンを食べながら映画を観る。
一口にながら作業と言っても、様々な性質のものがあるかと思う。単純化・定型化された動きと組み合わせれば、それは時に時短・効率化やほどよい緊張感(あるいはリラックス)をもたらしてくれるだろう。

一方、私の過去の経験も踏まえた考えに基づくと、人間はそもそも『ながら作業をガンガンこなせるほど能力が高くない』。
外で食べるときは基本的にながら食いをしない私も(とはいえマックのポテトを片手でつまみながらスマホを見るくらいのレベルはある)、自宅ではラジオやポッドキャストを聞きながら食べることも多い。音声は手軽だからいいよね、とつい言いたくなるが実は思ったよりそうではない。
食事の準備や動作に気を取られて聞き逃した箇所をいちいち巻き戻したり、逆に内容を聞くことに気を取られて手元の汁物をひっくり返したりする。
これは私がどんくさいからというレベルの話にとどまらず、もっと普遍的な事例だと少なくとも今は感じている。人は複数のタスクをこなそうとするとき、一方のタスクの完成度(パフォーマンス)が大きく低下する傾向にあると言えるかと思う。

たとえば、スマホを見ながらあるいはラジオを聞きながら食事をした後に、こう自身に問うてみてほしい。

さっき食べた物の味とか食感とかどこに感動したかを思い出せる?
自分好みの味だったか、物足りない部分があったか具体的に説明できる?

食事中スマホの動画に意識を向けていたような人の多くは、おそらく答えられないはずだ。
「んーなんとなく美味しかったと思うよ。特に感想も不満もないかな。細かい味の感じとかは分かんない。」
これくらいの解像度になるかと思う。
料理人でもないのだから味を細かく覚えている必要はないって?ノンノン、そういうことじゃない。いちいち覚えておく必要はもちろんないが、直後ですらほとんど記憶に残っていないレベルの体験で終わっているという点が問題なのだ。それは、食事をまさしく ‘ただの栄養摂取’ のレベルにまで貶めている、つまり人生の幸福度を自ら毀損しているに等しい行為だ。


食べる=栄養摂取、は浅すぎる

端的に述べると、ながら食いは食から得られるはずだった大きな喜びやエネルギーを著しく低下させる。
あくまで私の感覚だが、三大欲求と呼ばれるものの中でも、『食べる』行為ほど人間の生きる喜びや生きる意欲に深く結びついたものはない。食べることそれすなわち生きること、などとも言われるが、私もまったくの同感だ。

食事には、栄養を摂取すること以外にもたくさんの効能がある。
咀嚼運動によってセロトニンが分泌される。唾液が分泌され口腔環境の改善サイクルが回る。自らの手や眼や鼻を使って五感で食べ物を認識する。‘味’ を認知し、自分好みかどうかによって毎秒喜怒哀楽や様々な感覚・感情が刺激される。食事を通して文化や歴史、過去の記憶といった様々なものを感じ取る。
人それぞれなので他人がどのような選択をしようが自由だが、食事をただの栄養摂取だと考えているならば、それは著しく理解が乏しいと言わざるを得ない。

例えば、胃ろう状態に移行した途端に人の活力が低下する傾向にあるというのは、医療・介護の業界では有名な話かと思う。経口摂取と同様に(もしかしたら一定の制約もあるのかもしれないが)栄養分は送り込まれているのに、だ。それはなぜか?少し考えてみてほしい。

※ ちなみに、胃ろうに対してネガティブなイメージが先行している私だが、誤嚥性肺炎を防止したり患者や家族の負担を軽減するという観点で重要な選択肢であるという点も知ったので、誤解のないよう付け加えておく。みんなの介護の解説が分かりやすかった。



以前、満腹感をしっかり感じて効果的にダイエットを進めたい人は、スマホながら食いをしない方がいいというアドバイスを耳にした。当然そうだろう。
ただ、ここまで述べてきたように、食事には栄養を摂取するとか満腹感を得る以上の多面的で複雑な効果がある。人生に甚大な影響をもたらす。

ながら食いという食事のスタイルを見直すことは、ともすれば『目の前の人や物にちゃんと集中して向き合う』というごく当たり前の営みを放棄しつつある現代人にとって、よりよく人生を生きる感覚を取り戻す重要なターニングポイントになるのではないかと、私は感じるのである。


若者よ、スマホを置いて全力で飯を食え


'25/01/23 最終更新

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