おばあちゃん、美しい記憶だけ持って
9月20日は敬老の日でしたね。あなたの声が聞けて良かった。どうしようもなく会いたいけれど、今、会えないね。その場がぱっと華やぐあの笑顔のままでいますか。
94歳になる彼女は認知症。日々、愛らしさは増す。いつも美しく、ケラケラと笑い認知症で起こしてしまったドジや聞き直しも、みんなの面白い記憶として刻まれる。素敵な女性。
女として、母として、素晴らしい人生を歩んでいると孫目線でも言い切ることができる。彼女が歩く後ろには、スーッと白い絹のような過去が穏やかにたなびいているように見え、いろんな感情や逆境の経験すらも愛して身に纏っているかのよう。
胸を掻きむしるような辛いこともあったと。一人の子供は小さい頃海で亡くなった。海で育ったような彼女は、それをどのように憎んで悔やんで受け入れたのだろう。最愛の夫もまた病気で亡くなり、いつまでも顔を撫でて最後まで触れてその感触を記憶して、見送った。一番可愛がったヤンチャ息子は、最近、母である彼女より先に病で亡くなってしまった。お年寄りとは思えない程の大量の涙を流して、何度も周りに息子の死を確認した。彼が亡くなったことを記憶しようとしていた。
愛していた。たくさん愛しすぎたんだ。記憶したい愛が多すぎた。
非科学的だけど、彼女が認知症になった理由は、人よりも、愛した人を亡くした経験をしたからだと思っている。長く生きるには、脳から辛い記憶を溢していくしかないんだ。うまく辛い記憶だけを切り取って欲しい、彼女のあの笑顔を守るためにどうか美しい記憶はとどまってほしい。
彼女を見ていて分かった。親より先に、妻より先に、逝ってはいけない理由は、彼女から奪うからだ。あったものを失くす記憶を残すからだ。
もう、辛いことは忘れていいんだよ。美しい愛だけ記憶して、生きていこうね。ずっとずっと生きていくにはそうするしかないんだ。あなたの記憶や過去も私たちが愛すから、忘れないから、安心して忘れていいよ。
だから、たくさん教えて欲しい。あなたのこと、美しい記憶を。愛した夫が初めてくれたラブレターの言葉、一言一句間違えずに今も言えるもんね。
「籠の鳥でも脳ある鳥は、人目を盗んで逢いに来る。」
美しい記憶だけ抱いて、笑って生きてね。