スイーツメモリー(きんつば)
きんつばは、江戸中期に京都で作られたぎんつばが元の始まりだそうだ。丸い、型で、刀の鍔のようだったのが、江戸に伝わり、四角いものになり、また銀よりも金の方が格上と言うことで「きんつば」になったという。
今の形のものは、明治の初め、本高砂やの杉田太吉が考え出したものと言う。四角い方が、大量生産には向いているし、材料も無駄にならないし、ほんのちょっとしたことだったのに、大ベストセラーだったらしい。しかし、もともとの「ぎんつば」よりも、新参者の「きんつば」人気を乗っ取られるとは、ぎんつばは悔しくなかったのかな。
結婚前前、子供の音楽講座を受け持った。講師は私と友人のYさん。Yさんは音感がよく、指導力もある。しかし、私がYさんに話した音楽の知識、うんちく、曲の成り立ちなどを、さも昔から知っているように、子供や親に話す。どうかすると、私から聞いたことすら忘れて、私にうんちくを垂れる。
その話、私が、あなたに教えた話なんですけど… 自信たっぷりに話すので、子供や親は、ほうほう、と感心して聞いている。まあ、誰から知識を聞こうがいいっていえば、いいんだけれど、ちぇっ、なんだかなぁ、って心がささくれ立つ私って、心が狭い人間ですか?
紅花堂(今の本高砂や)のきんつばは売れに売れて、当時、店先に行列ができたという。京都のぎんつば屋は、「それ、最初に考えたの、私なんですけれど…」って思わなかったかなぁ。丸いの四角にしただけじゃんって。
写真奥の十個の小さな盃は赤津焼だ。黒ずんだ桐の箱に入っていた。我が家は、誰も日本酒を飲まないので、盃があっても、長らく放置してあった。箱の表蓋に、「赤津焼 織部 志野 古瀬戸 黄瀬戸 赤楽」(たぶん)とある。もっと書いてあるが、箱が黒ずんでいるうえに、崩した文字で、読めない。両親が生きているうちに、聞いておけばよかった。
コロナが収束したら、赤津焼まつりに行って、教えてもらおう。そして誰かに、さも昔から知ってたように、うんちくを垂れよう。
〇材料 … つぶあん 寒天 白玉粉 薄力粉 砂糖
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