不思議ね No.1――南ヨーロッパの女性らしい美はなぜ美学的にすぐれているのか?――
僕はなぜ女性らしい女性を愛したんだろう。それも南ヨーロッパ伝統の女性らしい女性の美を愛する女性を。もちろん、それに寄り添ってる男性も嫌いじゃない。なのになぜか、男性はすごく暴力的で、厳しく感じる。僕の女性好きは並大抵じゃないだろう。それも明らかに、男性の立場から女性の美学や美意識を学びたいという姿勢からの女性への愛だし、ZARDの坂井泉水や、Leyonaみたいな知性があり、強い人に共感的で、包容力のある女性を見るとふわっと魂が宙に浮かぶみたいに心が軽くなるのは、きっと僕の中の言葉が軽くなるからだと思ってる。
僕はこの言葉を、結婚寸前までいった美人、仁美さんに送りたいし、彼女は今でもメールをくれるけど、どうしても彼女に送る気になれないのは、イタリアのピサで彼女に似た女性ときっと結婚できるという感じがしてるからだ。
伝統的な女性らしい女性の美。
伝統は国によって様々だけど、南ヨーロッパの伝統に根ざした女性の美を愛するのは、古今東西の神話や歴史を見たときに、明らかに、美学や倫理を考えると、正当性のある伝統の美学であるように思えるからだ。
『旧約聖書』には、アダムとイヴの楽園追放の話がある。
ヘビにそそのかされ、知恵の実を食べてしまったアダムとイヴは、楽園から地上へと追放される。
「楽園追放」でポイントだと思うのは、ペニスやヴァギナを見せているのが恥ずかしいと思うようになり、木の葉っぱで隠しはじめるところにあると思う。
ヒューマニズムの最高とされる、イタリアルネサンスの時代の画家・ボッティチェリの大傑作『ヴィーナスの誕生』は、家族の禍いによって不幸になった古代ギリシャの女神ヴィーナスが、東にいる女神に赤いマントを被せてもらうことで、彼女の中の美を成熟させることにあるとされているが、あの絵の意味は、大人なんだから人間らしく裸の心を見せるんじゃなくて、大人らしい言葉遣いで心を表現した方がいいとか、それでも、ヴィーナスの裸は美しいとか、そういう美学はある。
しかし覆い隠すと弊害があるのも事実だ。
その女性のありのままが見えなくなってしまうし、女性らしい美が隠蔽されてしまうからでもある。
もちろん服装で女性らしい美を表現することも可能だから、服にも美を求める女性というのは古今東西いるんだろうけど、その女性らしさはヴァギナ、バスト、ヒップだけなのだろうか。
実際にはそうではなく、振る舞いや言葉にもそれは出る。
ではなぜ女性らしい女性の美が僕は好きかというと、性というのは神から与えられた自然のものだからだ。
ではなぜ、女性らしい女性の美の中でも南ヨーロッパの伝統的な、とつけるのか。
ルネサンスはイタリア発祥で、ダンテが先駆とされているけど、ヒューマニズムはダンテもこだわったことで、ダンテの好きだったベアトリーチェもヘテロだけど、女性を愛するタイプの女性だった。
イスラエルとヨーロッパでは、ユダヤ・キリスト教が信仰されてるし、フィレンツェはボッティチェリ、ダンテの出身地で、『旧約聖書』詩篇を書いたとされる、ダヴィデ像も数体、飾ってある。
つまり僕が住みたいと思ってるピサの近くにあるフィレンツェはヒューマニズムをすごく大切にする土地なんだけど、アジアはまた違う。
アジアはヨーロッパやイスラエルの神話をまったく信じていないどころか、その正反対のダーヴィンの進化論を重んじてる思想を国家イデオロギーにしてる国や、その国と仲良くしてる国が数多くある。
ダーヴィンの進化論は、人間が猿から成長したという科学的な人類の進歩史観を重んじてるがゆえに、神話を否定している。
神話には根拠がないと言うなら、究極を言えば、猿から人間になったかどうかも、どこまで本当かなんかわからないし、もっと言えば、その元になったという人がいる、猿はどこから来たのか、海の微生物はどこから来たのか、宇宙はどこから来たのかという話になるし、その問いは今ところ分かってない。
しかし、人の目には見えない力や、科学で肯定されてない法則というのが確かにあって、ヒューマニズムの神話を肯定する人間がアジアに少ないということは、どういうことなのか?
人間らしい人間が好きじゃない、ということになるんじゃないのか。
さっきの話に戻ると、おそらくそれは女性らしい女性の美をよくないとする価値観につながる。
ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』は、身体的にも、精神の話で言っても、神話的で、かつ女性らしい美が全面に出てる絵画だ。
ダンテもそうだった。
天国でだれよりもベアトリーチェを愛したのは、キリスト教の男女の性、特に女性の性を抑圧するのはよくないということと、キリスト教至上主義の頂点に彼女を持ってきたことと関係があるのだろう。
古来から、女性が目立っている地域や時代というのは、文化的に栄えていたことが多かった。
古代イスラエル、古代ギリシャ(実は、この時代はぜんぜん女性蔑視の時代ではない)、古代ローマ(クレオパトラとアントーニの恋愛は、その象徴だろう)、ルネサンス、ロマン主義(恋愛賛美がロマン主義の特徴の1つだった)、世紀末ウィーン(グスタフ・クリムトの絵画、オスカー・ワイルドの『サロメ』は、女性讃美の傑作)、戦後のアメリカ(ピノッキオや白雪姫をはじめとするディズニーアニメは、今でも女性に愛されてるし、女性への思いやりそのものだ)は、すべて女性が輝いた時代。
僕は女性が好きだし、女性らしい美をもつ女性を思いやれる男性が好きだ。
なぜなら、文化的であることと、女性らしい美を大切にできる人物が中心になることは、倫理と美学の奥義のすべてとつながっているのから。
了
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